脱受験英語で良い改革だと思ったがあまりに準備不足だ
来年の入試からスタートする大学入学共通試験で英語の民間試験導入が思いのほか大学、高校、当事者の高校生から反発が強く、混乱している。
私は脱受験英語から生きた英語を学ぶためにも、民間試験導入は良いことだと思ったが、これだけ業者が参入すれば不公平感は否めない。
高校や受験生が猛反対するのは当然だ。あまりに文科省の準備不足だ。

入試制度改革にいつも当事者の受験生は翻弄されてきた
そもそも大学入試制度は過去、文部科学省や有識者と言われる連中がいじくり回す度に混乱してきた。
旧来の国立大学一期校、二期校という戦後ずっと続いたシステムを壊し、共通一次試験などを導入してから、国公立大学の序列化が一段と進み、個性もなくなってきた。
それはそうだ。一律同じ試験を課すのだから大学の個性はなくなる。
さらに同じ試験だから80ある国立大学、きちんと成績順に序列がついてしまった。
1979年からスタートした大学入試共通一次試験、さらに1990年からの大学入試センター試験しかり。
東大がやっぱりトップだったのは揺るぎなかった。
そして今度は大学入学共通試験、その目玉が英語の民間試験の採用となっている。
合理的で受験生には良かった国立一期校、二期校の時代
国立大学を約半分ずつ一期校、二期校に分けていたのは受験生にとったら良いシステムだった。
東大や京大、阪大や名大など、旧帝国大学はもちろん一期校だった。
例えば四国なら徳島大学、高知大学が一期校、愛媛大学と香川大学は二期校だった。
受験生は大半が一期校が第一志望。不合格だと第二志望の二期校の試験に挑んだ。
二期校の試験に臨むのは挫折感いっぱいだったが、それはそれで、二度勝負できるのは有り難かった。
これはいまの前期、後期とは全くシステムは違う。
戦後、馴染んできたこのシステムをやめ、共通一次を導入したが、これもやっと慣れ、定着したにもかかわらず11年で終了したのも場当たり的だった。
次に登場したセンター試験は約30年も担ってきたが、ついに変わる。
英語民間試験導入は画期的だが、不公平感はぬぐいされない
日本の英語教育が大学受験に特化していることなど、英語教育の失敗は明白だった。
だから入試に民間試験を導入することはひとつの改革だと思った。
しかし早々と撤退したTOIECを除いても、参加する民間試験が7種類もあると聞けば、公平な試験を担保することは難しいだろう。

英検、TOIEC、TOEFLの3種類くらいだったら、事情は変わってきただろうと思う。そしてあまりにも唐突で、準備期間が短か過ぎた。
混乱の中、文科省は押し切るだろうが、スタートに当たった受験生がかわいそうだ。
もりもと なおき