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新党さきがけ代表武村さんと、私がお土産にした"さきがけのういろう"

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非自民連立政権の立役者のひとりで元衆院議員で新党さきがけ代表の武村正義さんが亡くなった。
私の好きな政治家のひとりだった。


初めてお目にかかったとき、徳島県牟岐町の銘菓『さきがけのういろう』をお土産に持参したらびっくりし、『いい名前だね!』と、たいそう喜んでくれた。

武村さんや小沢一郎さんが自民党を離党し、武村さんの新党さきがけ、小沢さんの新生党、そして先に自民党を離党していた細川護煕さんの日本新党などが、自民党に代わる連立政権をつくったときは、少なからず興奮した。

私もその秋(1993年)の補欠選挙で県議会議員に初当選したが、政治の躍動感を肌で感じたものだ。
(畏友岩浅嘉仁氏はその7月、新生党から衆院議員に初当選し、連立政権に参加)

武村さんの著書『小さくともキラリと光る国、日本』は私のバイブルとなった。


そんな訳で武村さんにお会いするのは、友人で後に共同通信政治部長となる橋詰君のご縁で直ぐに実現した。
橋詰君が『僕、さきがけ担当になったから、いつでも』と。
官房長官というお忙しい公務の合間に、訪ねることができた。

政治改革では後藤田正晴さんに師事していたという。だから離党の話しは後藤田さんにだけには相談したと話していた。

"その時、後藤田さんに『仲間は何人だ?』と尋ねられたから『10人です』と答えたら、後藤田さんはひと言『わかった』と。
最後まで胸にしまっていただいたことに感謝している…"と、当時の生々しい話しをしてくれた。

元自治官僚。滋賀県八日市市長や滋賀県知事から衆院議員へ。わずか3期で連立政権の中心となったが、小沢一郎さんとの不仲が原因で連立政権崩壊へ。
村山総理となる自社さ連立政権に繋がった。
政界引退後は、徳島文理大学大学院教授を務めていた。
ご冥福をお祈りいたします。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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