記者に不可欠なのは時代への対応力と、生きる上でのセンス
新聞記者は時代への対応力と生きることに対するセンスが大切だと、ずっと信じている。だから私も若い頃は、後輩たちの読んでいる本、付き合っている彼女、持っているアイテムなども軽く観察し、相応の指導、お付き合いをした。
要するにかなりえこひいきをしたかもしれない。
なぜかというと仕事柄、多様化する価値観についていかなければ務まらない。かといって環境に左右されない一本、スジを通すことが何より大切な仕事だからだ。

署名記事だから分かる記者の資質とスタンス
最近は地方紙でも記事の最後に署名が入る。毎日、徳島新聞朝刊を読んでいると、知らなかった記者でも知らずに名前を覚えるし、その記者の考え方や価値観まで分かってくるのがいい。
正直、提灯(広報)記事ばかり書いてる記者は名前見ただけで『あーあ』との思いしかない。
しかしながらその記事でも行政の方針ややっていることは分かるから、読むメリットもある。
あと私の専門の事件記事は最近、かなりストレスが溜まる。事件記事の基本はいかに読者が知りたがっていることに応えるか。どうも全国紙、地方紙、これに応えてくれない。
ベタ記事も深い取材で大きなドラマになることを理解すべき
残念ながら紙面のスペースもあるかもしれない。それにしても知りたいことがかなり不足してる記事が多い。
これは地元紙に限らず、"事件の読売"もだ。事件記事の社内ステイタスが、どことも低下しているのだろう。
ベタ記事でも勝手な価値判断では失敗する。深く背景を取材したら、大きなドラマになることもあるのだ。
先日も触れたが、おじいさんが100円余のネコ缶を万引きし逮捕されたニュースは、私なら背景を取材し、社会面トップにした自信はある。
おじいさんが飼っているネコにも会いに行く。それが事件記者なんだ。
役所の言い分に簡単に納得する人は読者の代わりになれない
最近、徳島新聞では『木下真寿美』という女性記者の記事が印象に残っている。
『そごう撤退の徳島市中心部活性化策』と題した特集記事だった。

阿南市出身、ニューヨーク在住の建築家吉原弘記さんから徳島新聞に届いた手紙から、記者なりに街を緑化するとのコンセプトで取材、記事を展開していた。
この中で、徳島市公園緑地課が街路樹を毎年剪定し、丸坊主にしていることに触れた箇所は面白い。市役所はこの理由として『落ち葉についての市民の苦情は多い。木をなくして欲しいの声もあるくらいだ』と。
この女性記者の行政への返しの巧さは、取材力と筆力
これに木下記者は『街路樹の紅葉が綺麗ですねと、わざわざ市役所に電話する人は少ない。苦情が占めるのは理解する』としながらも、ニューヨークでの街路樹の役割を吉原さんの言葉で語る。
市役所の言い分に対する彼女の巧みな返し。せっかくの街路樹が街路樹の役割を果たせていない徳島市の現況を上手く炙り出している。この記者の筆力だろう。聞けばイギリスへの留学経験もあるというから、なるほどだと納得がいった。
記事への責任を持つ意味での署名だが、名前を覚えていくと特徴と能力が分かり結構面白い。
もりもとなおき