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日航機墜落事故から37年〜私の灼熱の夏の記憶とクライマーズ・ハイ

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やはり私の記者時代だけじゃなく、人生の中でも最大の事件であり、出来事であり、仕事だったから、この日、8月12日がくると否が応でも思い出してしまう。もう37年が経った。

この事故で私、地方新聞の記者がどんな仕事が可能だったか。そして地方紙の限界とは…これらは堤真一、堺雅人が取材に当たった地方紙記者を演じた映画『クライマーズ・ハイ』(原作・横山秀夫)で実に見事に描かれた。

520人もの人たちが一度に亡くなる航空機事故の取材など、この時代に生きた記者たちしか体験はできなかった。
ましてや地方新聞の記者だ。私にとっては肉体的にも精神的にも人生で一番、キツい仕事であった。

いま、私が徳島新聞の部長かデスクなら『お前、1人で現場へ行って来い』と言える後輩記者は1人もいないんじゃないかと思う(敢えていうなら2人は思いついたが)
私は新人時代、仕事のノウハウから遊びまで教わった平野淳輔先輩に、着の身着のままで行かされた。

あの時、東京への飛行機の中で考えたのは①どうやって取材するのか②どうやって群馬県から記事と写真を送るのか③現地に何千人もいる関係者の中から、徳島関係の遺族をどうやって見つけるのか(これが一番難題だった)
私の記者としてのスキルはもちろん、胆力、自身の危機管理能力さえ試されたのだ。

もちろん共同通信から全体の記事は大量に配信される。だから大手メディアが何百人の記者を送り込もうが、私は現地にいる自分しか書けない記事を書こうと思った。
その中で心が震えた出来事もあった。

徳島に帰省する新婚間もないな若いご夫婦が犠牲になったが、遺体は見つからないまま。
しかし別々に発見されたある2人分の遺体の一部には結婚指輪が。それぞれに彫られたイニシャルから、奇跡的にご夫婦であることが分かったのだ。

"2人をもう一度結びつけた愛のエンゲージリング"ー。これは私だけの記事で、全国紙も後追いした。

事故は阿波踊り初日。開幕して間もなくの時刻だった。私はこの春、妻と知り合い交際中。確か翌日13日に阿波踊り見物に行く約束をしていたが、その約束を叶えることができなかったのを覚えている。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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