学生時代、一番、友だちと時間を過ごした街は高田馬場は別としてやはり新宿だ。
早慶戦のあとバカ騒ぎをしたり、クラスの連中やバイト仲間とメシを食ったり酒を飲むのは、やはり歌舞伎町の安い居酒屋や焼き鳥屋が多かった。

歌舞伎町は今ほど風俗店は溢れてはいなかったが、それでもピンク街としては当時でも全国一。
ソープランド(当時はトルコ風呂)もたくさんあったし、ハリウッドやハワイ、ロンドンという有名チェーン店のキャバレーや、ハードな性的サービスを提供するピンクサロンは、所狭しと並んでいた。
新宿コマ劇場前や風林会館周辺は新宿が縄張りの絵に描いたようなヤクザやチンピラ、今でいう"反社"がたむろしていた。
私はコマの前の噴水池の囲いに座ってタバコを吸いながら、彼らを観察するのが結構、好きだった。

日本最大の歓楽街の背景にあるアンダーグラウンドな活力に溢れていたからだ。
当時から人間観察が好きだったのかもしれない。
何をするか分からない中国マフィアなど当時はいなかったから、歌舞伎町は今より遥かに安全な街だった。

あと新宿にはゴールデン街と西口には思い出横丁(当時は通称しょんべん横丁)があった。
もちろん行ったことはあるが、ともにあまり好きな場所ではなかった。

ゴールデン街は映画や出版関係者、無頼派の有名作家がたむろし、大酒飲んで議論したり喧嘩をする場所とのイメージが強烈過ぎた。
要するに好きじゃないと言うより、何も芸の無い大学生には敷居が高すぎたのだ。
後に母親がゴールデン街で店をしていて、後を継いだ人と知り合いになった。
彼がまだ中学生の頃、母親の店は学生運動の活動家の溜まり場で、物凄い熱気で溢れ返っていたという。
彼に『森本さんからはその時の学生たちの匂いがします』と言われた(笑)
私はすでに還暦だったが、何となく嬉しくなったものだ。
ここ20数年は上京したら赤坂界隈ばかりで遊んでいたが、やはり新宿は"心のふるさと"だと思う。
もりもとなおき