コロナ不況がますます深刻化している。有効求人倍率は1.20倍とさらに前月から0.12ポイントも下落した。これはなんと第一次オイルショック時、1974年1月の0.20ポイントに次ぐ46年ぶり、2番目の落ち込みとか。
今後、収束もせず第二波がやってきたら、さらなる落ち込みも懸念される。

原油価格で一喜一憂する世界経済だが、日本は特に
久々にオイルショック以来ということばを聞いた。これは1973年の第四次中東戦争を機に始まった危機、1979年にイラン革命を機に始まった経済危機でそれぞれ第一次オイルショック、第二次オイルショックと呼んだ。
ピークは1980年だったから、相当、長い間、不況は続いたのだ。
これをみるとわれら学生時代はすっぽりオイルショックのただ中で過ごした。先輩も自分たちも当然、就活に苦戦したはずだが、今思い返してもそれほどの悲壮感は無かった。

第一次オイルショック
上場企業の大半が採用中止した中での就活のキツさ
自分たちが4年生になった時、当時の新聞記事を覚えている。
"一部上場企業の90%が採用中止。採用する会社も例年の1割"ーみたいな、厳しい採用状況を示すものだった。
なるほどとは思ったが元々、大企業のサラリーマンになることにそれほどの価値を見出していなかった。
それより何とかなる、ケセラセラの気持ちの方が勝っていた。
しかし後に振り返るとみんな相当、苦労した。厳しい人生を歩んだヤツも多かったのを、還暦同窓会に出席した時に実感した。
当時、小さな会社を訪ねたら社長さんに『来社は嬉しいけどうちは早稲田の学生さんがくるような会社じゃないので』と、やんわり断られた話しも多かった。
私などはどこもなかったらもう暫くバイトを続け、本採用に潜り込むつもりだった。
オイルショックより厳しく辛いコロナパンデミック
目標だった大手の新聞なども朝日や日経でも採用は20人程度。ここに3000〜4000人が受けるんだから合格はあり得ない。
しかしこの時、朝日に受かり後に社長となった木村伊量君なども早稲田にいた。
オイルショックでは、OPEC諸国の国際収支黒字は1973年にはわずか10億ドルしかなかったが、たった1年後、1974年には約700億ドルに急増し、産油国の金満国家ぶりがスタートした。
原油の価格で景気が左右されるのは、予測もつく。しかし疫病だけは如何ともし難い。コロナパンデミックで否が応でも世界は経済的にも繋がっていることがわかる。
未知のウイルスがもたらした今の厳しさはオイルマネー云々どころの話しではない。
もりもとなおき