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朝毎読のライバル心は新人時代から。"負けたないねん"と泣いたヤツ

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大手三紙のライバル心は格別


県警の記者クラブには春から夏にかけていろんな新人が着任する。加盟社は朝日、毎日、読売、産経、共同通信、時事通信、NHK、四国放送、徳島新聞の9社。未だ思い出深いヤツもいる。朝毎読は新人と言えどもやはりライバル心は強く、いつも相手を意識して生活していた。基本、仲は良くなかった。私はいつも兄貴のような心で、"日本のジャーナリズムのために君らは頑張れよ"と、心のなかで励まし、懐いてくるヤツにはたまに影でネタをあげることもよくあった。

ライバル心が強かった大手3紙


当時は朝日の優秀さは群を抜いていた。東大卒が多く、それで官僚にならずに新聞記者を選ぶんだから、根性も半端ない。さらに凄いなと思うのはデスクがしっかりしているから、優秀なヤツをさらに徹底に鍛え上げていた。


警察幹部より私をマークしたY売のやっちゃん


記憶に残る他社の後輩はたくさんいるが、Y売新聞の"やっちゃん"は格別だった。なんせ彼はクラブにいた2年間、警察幹部よりも私の仕事、生活を徹底的にマークする変なヤツだった。

当時の大阪Y売は社会部が社会部長の名をとって"黒田軍団"と言われ、関西の事件報道は完全に他社を圧倒。"戦争と差別"を部のテーマとし、浪速の人情味溢れる素晴らしい社会面を作っていた。

やっちゃんも入社前、社会部でアルバイトをしていたとかで『僕も黒田軍団の一員やねん』が自慢だった。身長は153㎝と小さかったけど、元サーファーで存在感抜群だった。

後に私が黒田さんに直接聞いた話しだが、やっちゃんは漢字を知らなかったので、これでは入社試験が通らないと、『小学生の漢字ドリル』を黒田さんらが勉強させていたらしい。でも黒田さんや大谷昭宏さんら部員に可愛がられ見事、Y売の記者になったようです。


"あいつらにだけは負けたないねん"と泣いたやっちゃん


朝、顔を合わせた第一声は『もーさん、取材20分、書くの10分、それで県版トップいけるネタちょーだい』と。私がクラブを空けると必ず『もーさん、どこ行ってたん?何してたん?』夜帰ろうとすると『ホンマに帰るん?』と、いつも徹底マーク。まぁ、私は地元紙だから警察との付き合いも長く"何でも知ってる記者や"と思ってくれていたようで、私をマークしてたら落とす事はないと、安易に考えていたようだ。

ちょっと大きなヤマのある前夜、クラブにいるとやっちゃんが『もーさん、明日くらいなんかあるんやろ?』と、不安そうに。さすがカンがいい。

私『知らんけど、そうなんか?…』

やっちゃん『もーさん、頼むけん教えてーな。朝日と毎日のヤツだけには絶対、負けたないねん』と、涙ぐむ。

毎日、マークされて一緒にいると情も移る。その努力にも少しは報いてあげなければと『明日の朝6時、○○に。来たら分かる』と、ヒントを。

やっちゃんにはソープランド摘発にまつわる武勇伝、豊田商事事件の武勇伝など、他にも面白いいろんなエピソードがあります。本社に戻り、社会部で大活躍した後は総務畑で出世しました。絵に描いたような社会部記者でした。

東京に戻り出世した連中もたくさんいましたが、やっぱり駆け出しの徳島での記者修行のおかげでしょうね。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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