『東京直行はYS11しかなかった時代はソープ嬢も東京へ帰れなかった』
1983年にジェット機が就航するまで、徳島ー東京間はプロペラ機のYS11だった。
遅いだけじゃなく座席は確かわずか68席、1日せいぜい5往復だったから、東京へ行きたくてもなかなか航空チケットが取れない。みんないろんなツテを使って手にいれていたようだ。

その頃、徳島の風俗事情はソープランドが全盛期だった。営業地域は歓楽街の一部に限られていたが、ピーク時は15〜16店舗が軒を連ねた。
飛行機からなぜいきなりソープの話しになったかというと、当時の人気店のソープ嬢は東京、札幌の一流店経由の嬢が圧倒的に多かった。モデルみたいな美形がたくさん来ていたのだ。
そして1週間や10日に一度は東京や札幌に帰るから航空機を利用する。しかし航空チケットを取るのに相当、苦心していたようだ。
私は徳島ー東京に就航していた当時の東亜国内航空の代理店に気安い人がいた。
実はいろんな人に東京便のチケットの予約を依頼されたから、その都度この人物に頭を下げていた。
そんなことから人に頼まれあるソープ嬢の東京便を取ってあげたら、次から次へとその友人というソープ嬢たちからお願いをされ、参ったことがある。
頼まれれば可能な限り取ってあげたし、予約番号を電話で教えるだけでいいものの、ギリギリで取れ時間がない場合には、空港までアッシー君をしてあげる人の良さもあった(汗)
こんな私を羨ましがる友人は多かったが、どうも良からぬことを想像していたようだ。
冗談じゃないゾ!
"私は知らない土地へ来て、自分のカラダを張って頑張ってひとりで生きているソープ嬢たちはエラいと思っていた"
だからたかだか航空チケットの予約をしてあげただけで『タダで嬢と…』など、考えたことなど1ミリもなかった。ゲスの勘繰り。どんな職業も尊いんだよ。
そしてソープ嬢でもこれだけ不便だったのだ。徳島空港のジェット化の遅れは、その後の徳島の発展を大きく阻害したのは間違いない。
もりもとなおき