自分の選んだ道で全力で生きた同級生は心から誇りに思う。
大親友、名古屋の鈴木のマー坊とはよく中学時代(名古屋市立川名中学校)の同級や同学年の友人の話をするが、やはり飛び抜けて凄かったヤツはS君だろうということで一致する。
なぜ過去形なのか。実はS君は54才くらいでこの世を去った(死因は癌だ)


学年だけで13クラス565人もいた中学だが、S君のことは皆んなが知っていた。
とにかく優秀な生徒が多い中学校だったが、成績は常に学年でほぼトップ。スポーツも得意な文武両道。そして穏やかな性格でリーダーシップもあり、3年生の前期は生徒会長も務めていたからだ。
当然のように当時、名古屋では全国有数の進学校だった旭ヶ丘高校へ。恐らく高校でもトップクラスだったんだろう。
東京大学理科三類(医学部)へ進みドクターになった。

ここまでは特に誰も驚かない。これくらい当然だと皆んな思った。
その後、東京の医学の世界で彼がどんな歩みをしたかは知らないが、40代の頃だと思う。
マー坊の話しでは開業医だった父親が亡くなったためかどうか、名古屋へ帰ってきた。
そしてその後の彼の医師としての活動を聞き、感動した。同じ志の医師たちとグループをつくり、恵まれない人たちに手を差し伸べる医療に尽力していた。
とりわけ医療の恩恵から除外されたホームレスの人たちの命と健康を守るために根気強く活動していたという。
そしていつしか"名古屋の赤ひげ先生"と呼ばれていたのだ。
こんな立派な人間が何故そんなに早く神の元に召されてしまうのか。人生はなんて理不尽なことが多いのか。恐らく弱い人を助けるため、自分の健康などそっちのけだったのだろうと推察する。
東大医学部まで出て何故?と普通は思う。彼の有り余る能力は弱者への愛情に向けられ、われわれ凡人の"我欲"などとは無関係な人生だったんだろう。
こんな友と同時代、同じ学校で学べたことを心から僕らは誇りに思う。
(中学卒業アルバム。正門。S君が学んだ東大医学部)
もりもとなおき