昔懐かしい駅の伝言板が、横浜市のJR東神奈川駅に復活したニュースを見て、いろんなことを思いだした。スマホで直ぐに連絡が取れる今。時代が変わり伝言板の目的は少し違っても、黒板にチョークの味はいいものだ。

どうやって連絡したのか、俺たちの学生時代
『俺たち学生時代って、どうやって連絡取りあってた?』学生時代の友人とこんな話しをよくした。
もちろんスマホもない。ガラケーどころがポケベルだってまだまだかなり先。
アパートの自分の部屋に電話を引いてるヤツもほぼゼロ(確か電話の保証料が36万円した)
共同のピンク電話か下宿の呼び出しがあればマシだった。
卒業式の日に『じゃあまたな』と言い合い、以来一度も会ってないヤツがどれだけいることか。
ラウンジに置いたクラスノートが連絡帳だった
思い出すと大学のラウンジに『クラスノート』を置いた。これはサークルや他のクラスでも普通にやっていた。
ノートに日時を書き、○月○日、○時頃どこの喫茶店にいるとか、どこの雀荘にいるとか。
しかし1週間も大学に来なかったらノートを読むこともなく、役に立たなかった。
他大学の女の子との連絡はもっと厄介だった。その子が通う大学の最寄りの駅の改札口で、何時間も待つヤツとかいた。
立川の駅で6時間も待ち、目指す彼女が来たものの『何やってるの?今からバイト。じゃあね』だけで終わったヤツもいる。
東神奈川駅で嬉しい復活、黒板の伝言板
そして大いに役立ったのが、駅の伝言板だ。だいたい近くに大学のある駅には大きな伝言用の黒板があり、改札を出たらチェックしたものだ。結構、役に立ったのを覚えている。
東神奈川駅の伝言板は昔の伝言板を知っているロートル世代ではなく、若い駅員さんの発想だったのが、面白い。
コロナで殺伐とした世の中、伝言板に皆んなの様々な思いが託せたらとの、気持ちだったという。
伝言には日時を必ず入れるとか、若い駅員さんは気づかなかったが、伝言板世代の年配職員が、昔を思い出しアドバイスをしてスタートした。


東京と友人に別れを告げた高田馬場駅の伝言板
ホワイトボードじゃなく黒板というのが渋い。待ち合わせ連絡が主要な役目だった昔と違うかもしれないが、黒板に字を書く。
この温かさを皆んなが分かってくれるだけでも素敵なことだ。
他の駅にも広がるような気がする。
卒業式の日、高田馬場の伝言板に初めてメッセージを書いたことを、昨日のことのように覚えている。『東京も今日でお別れ。皆んな元気で W4D N.M』
もりもとなおき