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桜が愛されるのは、生きた歳の数しか見れないからかも…

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人の死期をよく桜の開花の時期と重ねることがある。桜の咲く頃…とか、もう来年の桜は見ることはできないだろう…とか。例えばドラマなどで癌患者の余命を医師が家族に告げる時などだ。

一昨年の2月、癌で亡くなった学生時代の親友の横浜の山崎は、闘病していたその前の年の秋、私に電話でこう言ってきた。


『森本〜、どうやら来年の桜は俺はお空にいるから見ることができねーみたいだよ』と。
私は『バカヤロー、空から見たら上等だろ!』と、応えたものだ。

で、何故か大学1年の出会った春の日からの思い出話しに花が咲いたが、
『なんか無茶苦茶楽しかったよなぁ』と明るく言う山崎に、私はことばが詰まった。
山崎はこの数日前、家族とともに改めて主治医と話しをしているが、辛い余命宣告があったのだろう。

やはり僕らが早稲田の杜で出会った頃に満開だった桜を見ることはなく、桜の便りが届く1か月前に旅立った。

私たち日本人は本当に桜が大好きだ。パッと咲いてパッと散るあの潔さが日本人の心情に合うからだとも言われる。

でも私が思うのは、桜への思いは自分が生きた年齢の数だけしか見ることができないからじゃないだろうか。


バラやチューリップは花屋さんに行けば年中、見ることができる。
でも桜は基本、春だけなんだ。
50才で死ねば50回、70才で死ねば70回、100才まで生きても見ることができるのはたったの100回なんだ。

満開はわずか数日だから、本当にこの季節をみんなで大切にしたいものだ。

私も昨年、厳しい癌宣告を受けた時は、親友山崎のようにことしの桜を見ることは無理だと覚悟していた。
でもこうして今年も元気に桜を堪能できた今に幸せを感じている。
潔くなくて良かったと思う。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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