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桜を見る会より遥かに大切なことは山ほど。教育くらいは公平に

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格差社会、身の丈は皆んな違うのは、分かっているから腹が立つ

これだけの格差社会の広がりの中、皆んな身の丈が違うことは分かっている。
これはもちろん今に始まったことでもないし、昔からあった。そんな中で若者たちはもがきながら頑張ってきたんだ。

公平であるべき大学受験は理想像だ。しかし現実はそうはいかないのは誰でも分かっている。

それでも最高責任者たる文部科学大臣萩生田が『身の丈でやったら』みたいな無責任な発言は有り得ないし、許される訳がない。

少なくとも共通テストだ。スタートくらい平等にできるように努力するのが、国家の役割なんだ。

こんな頭の悪そうなヤツに言われたのが、とにかくみんな不快なのだ。

まだ貧しかった時代、給食費が払えなかった同級生も

僕らの世代は日本全体が貧しかったから、格差は今ほどなかったが、小学校のクラスに数人は極貧の家庭の子がいた。社会補償など無きに等しい時代だ。

給食費の集金日、毎月必ず忘れて来る子が3〜4人いた。忘れてるんじゃない。持って来れないから次の日も忘れるんだ。

こんな子たちに口汚く暴力的に罵っていた担任教師が忘れられない。私の暴力教師に対する原体験として今も後味悪く残っている。

高校、大学受験の時に感じた不公平な社会へのやるせなさ

高校受験の時も社会の現実に嫌になったことがある。もの凄く勉強ができ、東大に何人も合格する高校に受かるくらいの学力の女子が、商業高校を選択したことだ。

もちろん商業は女子に人気があり、多くのクラスメイトが選択した。
しかしこの子の理由は『どうせ私は大学へは行けない。だから商業で社会に出て直ぐ役立つことを学びたい』と。

恐らく大学へ行きたかった筈だが、彼女は家庭の事情で断念したんだろう。内心忸怩たるものがあったと思う。

自分より遥かに優秀でスポーツも万能。彼は高校も行かず(行けず)町工場に就職した。還暦同窓会で再会したが、人生大逆転にはなっていなかった。

貧困が優秀な同級生の行手を阻むケースは本当に多かった

大学受験の時もこうした問題は否応なく、クラスメイトの未来を阻んだ。
当時は国立大学の授業料が年間わずか12000円!私立も80000円くらいだった。

それでも『地元の国立以外はダメ』『私立へは進学させることはできない』と親に言われている友人も何人もいた。

『絶対、国立にするから。バイトと奨学金でやるから仕送りはいらない。だから県外に』と親を説得したヤツには、一緒になって彼でも合格できそうな北海道から沖縄まで全国の国立大学を探した。

何人かは無事合格し、感謝された。しかし合格できず就職したヤツもいた。

まだ大学進学率が10%台の時代だから、親も絶対という気持ちがなかったんだろう。

今は授業料は国立大学で54万円弱、私立文系だと大半が100万を超える。理系なら200万円近いところも。それで進学率は50%を超えるから、親の負担は大変だ。

そしてどの親だって身の丈に応じた進路を選択して欲しいが子どもの夢は破れない。私たちの中高時代より、今の親たちの方が大変かもしれない。

桜を見る会よりやらなければならないことは無数にある

この現状を政治家は果たして少しでも分かっているのか。小学校から大学まで成蹊というボンボンの安倍さんでは微塵も理解できないだろうし、文科大臣の萩生田光一しかり。

資本主義社会だからある程度の格差はしょうがない。
しかし人生のスタートくらいは貧しいが故に夢が叶わない社会であってはならない。引いては国家の損失だ。

そろそろ負担なく行きたい人が行ける大学制度を導入すべき時だ

桜を見る会なるバカバカしい会が、多額の税金を浪費して、まるでヤツらの選挙運動に利用されていた現実。この国の政治の劣化にもはやことばもない。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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