女性の進出が大きく立ち遅れたマスコミ業界
まだ男女雇用機会均等法などできる遥か昔だったから、文化面など一部を除き新聞記者の世界は100%男の世界だった。
警察担当だと相手もまだまだ女性警官(当時は婦人警官と呼ばれた)などほとんどいない時代だったから、こちらも男の世界。
それが当たり前だと思っていたが、なんとも華やかさに欠ける暑苦しい偏った社会の中で仕事をしていたものか。
残念ながらまだ女性には深夜勤務や宿直勤務が開かれていない時代であり、全国紙の学芸部などに女性記者はいたが、女性からの希望はあれどサツ回りなどは解禁されていなかったのだ。
本当に女性の進出が立ち遅れた業界だった。

そして批評はするが今だ女性の地位と活躍の場は?だ
その後、少しずつ各社女性記者を増やしてきた。そして1985年、男女雇用機会均等法施行後は一気に増えてきた。全国紙などはどうみても採用段階では40%くらいはいるんじゃないかと思う。テレビを見ても女性の現場実況などごく普通の景色だ。
昔は女性が社会部の記者など無理だろうと、男は勝手に思っていた。なぜか?切った張ったの荒っぽい世界は女では馴染めないと、男が思い込んでいたのだ。
男の世界と言えば聞こえは良いが、ひとつの職域という既得権。そこに未知の優秀な女性記者が入ってくることに脅威を感じていたのかもしれない。
実際、記者の世界に女性が進出してどうだったか。男同士の馴れ合いの人間関係は打ち破られたし、取材先との貸し借りや忖度、これらは本当に少なくなったような気がする。
ところがいまだにマスコミ幹部の女性の異常な少なさ。
つまらない妥協のない女性こそジャーナリズムを支える
そうした意味で私は個人的にはジャーナリストという職業は男より女の方が適しているとの、確信に近いものがある。
ひとつの好例だが、国会の内閣記者会。会見の様子を見る限り、記者クラブメンバーは大半が男の記者だ。そして官房長官らに切り込むことができず、その腰抜けぶり、忖度ぶりが批判の的だ。
しかしながら菅官房長官時代、東京新聞の望月いそこ記者が妥協することなく忖度することなく、ひとり気を吐いたのは記憶に新しい。
こんな女性記者が各社数人ずついたら日本や社会は変わるのではと、思う。


管理職や政策決定の場に女性を増やす当たり前のことから
森喜朗オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の女性蔑視の発言が世界から批判を浴び、改めてわが国の男女共同参画の異常な遅れを思い知らされた。
当たり前のことだが世界に追いつくためには全ての組織団体での女性幹部割合を増やすこと、政策決定の場に女性を増やすことしかない。
そのためには女性が働き易い、少なくとも男女が公平となる社会環境、家庭環境が必須だろう。
もりもとなおき