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樹木希林さんの死去で蘇る『寺内貫太郎一家』と、その時代

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樹木希林さんの死去で蘇る寺内貫太郎一家


樹木希林さんの死去で、彼女の代表作品のひとつ、寺内貫太郎一家(1974年4月〜10月)がまた多くの国民の心の中に蘇っている。

自分も大学2年生。大学もアルバイトも自分のペースをつかみ、東京生活を楽しんでいたころの番組だから、思い出深い。

何せ平均視聴率が31.3%というお化け番組。西城秀樹、デビュー仕立ての浅田美代子などのアイドルの存在はもちろん、小林亜星、悠木千帆(後の樹木希林)、なんとも言えない配役が揃いもそろっていた。

プロデューサーはあの時代、時代の寵児と言われ飛ぶ鳥を落とす勢いだった久世光彦。ヒットしない訳はなかった。

笑いあり涙ありのドラマだった


見せ場は頑固オヤジ小林亜星と息子周平(西城秀樹)の壮絶な親子ゲンカのシーン。ほとんどガチだったと言われたように、秀樹が骨折したのには驚いた。

家族の食事のシーンも楽しみだった。実際に局の献立係が正味の晩御飯を作っていたとかで、大家族がやかましくご飯を食べる様は、東京ひとり暮らしには羨ましくもあった。これもおかしかったのは、正面、左右は家族が詰め詰めで座るが、カメラには誰もお尻を向けていなかったという(笑)

忘れられない"ジュリ〜"のシーン


ほぼ皆んなが食べてお腹がいっぱいになったころ、お約束、貫太郎のちゃぶ台返しも期待通りだった。

悠木千帆はジュリーのポスターを見て手を後ろで組み、ジュリ〜と、卒倒せんばかりだったのも番組の売りだった。でもこの頃、悠木千帆さんはまだ31才。それでおばあさんの役だから、本当に演技派女優だったんだと思う

お手伝いのミヨちゃんは、毎回ラストシーンで周平と幸せの一番星を歌ったが、まだまだ歌が下手で節が抜ける時があり、ファンはハラハラしたものでした。

このほか伴淳三郎や由利徹、梶芽衣子、加藤治子さんという超豪華メンバーが揃ったのも、やはり久世プロデューサーの力だったと、思います。

田中角栄、ニクソンが失脚


1974年。思い出すだけでいろんなことがありました。学生運動は完全に下火となり、一部の過激な活動家は地下へ潜りました。そうした活動家による三菱重工ビル爆破事件は衝撃を受けました。

そして政治は、立花隆らジャーナリストに金脈を追求された田中角栄首相があっけなく失脚。晴天の霹靂、徳島の三木武夫さんが総理大臣に就任しました。

また世界ではウォーターゲート事件でニクソン大統領が失脚。ワシントンポストの2人の記者の粘り強い取材に追い詰められました。

三木武夫さんもですが、徳島にとっては池田高校さわやかイレブンが春の選抜で準優勝したのも、大ニュースでした。そして球界では我らの永遠の英雄、長嶋茂雄さんが引退しました。

昭和そのもののような時代でした。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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