男と女はどちらが純情か、というよりどちらが未練がましいのか。
これは間違いなく男だと思う。
女性の割り切りの早さや気持ちの切り替えの早さは、われわれは実は小学校の時から実感することが多々あった。

僕が思い出になる頃に、君を思い出にできない
歌でも如実に現れている時がある。
例えば吉田拓郎の名曲『春だったね』。
この歌詞などいきなりだ。
僕を忘れた頃に〜♫
君を忘れられない〜♫
僕が思い出になるころに〜♫
君を思い出にできない〜♫
要するに別れた男女がいる。女性の方が僕のことを忘れてしまったり、とっくに思い出になっているのに、僕はいつまでも忘れられない。思い出にできないんだーという、極めて未練がましい歌だ。

この歌の詞は拓郎じゃなく拓郎ファンの女性が書いた。だからまさに女性から見た男の未練がましさのようなものが、実に巧みに表現されているんだと思う。
なごり雪を見て胸がいっぱいで涙ぐむのは実は男だけ
あと伊勢正三の別れの三部作ともいえる『なごり雪』『雨の物語』『22才の別れ』がある。

『なごり雪』などは汽車で故郷に帰る彼女をホームで彼が見送る情景を歌にしたものだが、どうも胸がいっぱいになり、涙ぐんでいるのは男だけのような気がする。
今春がきて〜君は〜綺麗になった〜♫去年より〜ずっと綺麗になった〜♫
これは別れるときになって改めて彼女の可愛らしさ、魅力を知る訳だが、未練以外のなにものでもないと昔、女子が解説していたのを思い出す。
抱かれた翌朝でも女はパッと別れることができる⁈
『雨の物語』は恐らく別れの日の朝の情景だ。彼女は通い慣れた彼の部屋に泊まったのだろう。
化粧する君〜の〜背中がとても〜♫小さく見えて〜仕方ないから〜♫
彼女は帰り支度の最中。もうこの部屋に来ることはないと、ファンデーションを塗りながら、あるいはルージュを引きながら背中で語っている。
で、彼はというと、
僕はまだ君を〜愛しているんだろ〜♫そんなことふと〜思いながら〜♫
と言うくらいだから本当は別れたくない。
結局、われわれ男が全く理解できないのは、この歌詞から想像するに女の子は最後にもう一度、抱かれても、パッと別れることができる。
これはわれわれ男子は到底、理解し難く、『まだそんな関係もてるならこれからも付き合ってくれてもいいやないか⁈』となる。
やっぱりいいなぁ、伊勢正三やイルカの歌
これらはわれわれ昭和の考え方なんだろうか。最近のカップルはそんなことはないんだろうか。まあ、こんな男女関係をあれこれ考えたのも青春だったから。
今は伊勢正三やイルカの歌を聴いてもノスタルジーしかない。深夜、YouTubeを聴きながらこんなことを考えた。
もりもと なおき