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死亡事故1.6万人の時代、歩行者の復権目指したのがホコ天だった

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マックシェイクを飲みながらホコ天を歩いた日

銀座の歩行者天国が始まって、この8月で丸50年とか。
初めて歩いたのは大学に入学した年だったから始まってすでに数年は経っていた。

そして覚えているのはこれも日本の第一号店として開店しそんなに経っていなかったマクドナルド三越店を初めて訪れ、『マックシェイク』を買ってホコ天を歩きながら飲んだことだ。

バニラのアイスクリームを溶かし込んだのを飲んでいる感じで、余計に喉が渇いたような気がした。
『もうこれは今後、飲むことはないな』と、思ったものだが以来、実際マックシェイクは一度も飲んでいない。

子どもが小さい時はどれだけマックに行ったか数えきれないが、ドリンクはコーラかコーヒーだ。

日本第一号店のマックと鈴木に勧められたマックシェイク

東京はなんて綺麗な女性が多いんだと実感した初ホコ天

ホコ天だが、誘ってくれたのは早稲田に1年、先に入っていた名古屋の中学からの友人、鈴木だった。

先に東京にいたから先輩風を吹かせ、新入生の私をいろんな場所に案内してくれたが、ホコ天は正直、鈴木と歩いても面白くも何ともない。もっぱら女の子ウォッチだった。

実は初のマックシェイクも『めちゃくちゃうまいがや!』と、鈴木に勧められたのだ。

そんな訳でホコ天の思い出はマックシェイクと、東京はなんて綺麗な女が多いんだ…だった。

交通戦争と呼ばれた時代、ホコ天は歩行者(人間)の復権だった

ホコ天だが当時の美濃部亮吉都知事が、確か歩行者の復権みたいなコンセプトで始めたように記憶している。
銀座には当然、買い物客を呼び戻す狙いもあった。

当時は"交通戦争"と言われるほど日本全体の交通事故死者は多く、例えば1970年の死者は1万6765人も。昨年はその5分の1の3215人だったからいかに酷かったか。

そんな意味でも道路はクルマだけのものじゃないという意識が、少しでも国民に芽生えたとしたら、良かったんじゃないだろうか。

初めての歩行者天国翌日の新聞社会面には『人間が道路を奪い返す』との見出しが踊った。
そしてホコ天は全国の主要都市に広がり、すっかり定着した。

コロナが収束し、また銀座の歩行者天国で人々が肩を触れ合いながら歩く日を待ちたい。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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