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重い求刑の判決に臨む裁判官の心情と、被告の精神鑑定の合理的判断

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重罪化望む声が裁判官批判に繋がっている昨今の裁判事情

裁判所や裁判官への不信感がかなり高まっている感じがする。
強制わいせつや強姦事件での無罪判決には、全国でフラワーデモとして女性たちが抗議の声を上げる。

凶悪犯人の保釈を裁判所が認めた結果、逃げられるケースも最近、多いような気がする。殺人犯まで保釈したケースもあった。

裁判官と市民の間にある量刑への感覚的違い

いろいろ裁判所への不信感はあるが、裁判官と私たち庶民との間で恐らく最も乖離しているのが、凶悪事件にたいする量刑の軽重ではないだろうか。

市民の感覚では死刑でも許せない、それでも足らない子どもに対する壮絶な虐待、そして最後は死なせてしまう事案。

最近あった裁判でも例えば保護責任者遺棄致死罪にかかる裁判。
市民が望むような死刑求刑は罪状からあり得ないとして、なぜこの罪では最も重い懲役20年としないのか。
直接、伺ってみたいような事件が続いた。

市民の義憤と裁判官の判決言い渡しまでの苦悩

ところでこうした市民の義憤も理解できるが、裁判官らの苦悩も推察できることはたくさんある。

一般的に殺人罪の判例では死刑判決は2人以上の殺人、1人だと99%以上、有期刑で、無期懲役判決もほとんどない。

しかし裁判員制度の導入で、あまりに残酷、悪質な犯行は死刑を求めるケースもでてきた。
裁判官としては1人殺人では死刑判決を避けたいから様々な理由を挙げて回避する。

そしてもう一つ、裁判官の判断の難しさとして推察できるのは、被告が犯行時、責任能力があったか否か。

精神鑑定で心身喪失とはっきり示されたら、責任能力は問えないから、無罪となる可能性が高い。
そして鑑定結果が心神耗弱であれば責任は問える。しかし判決は軽減される。心神耗弱と心身喪失に対する鑑定の合理性、そして裁判官の判断が極めて重要となる。

犯行時、精神的に普通の殺人犯はまずいない

私の事件記者時代の経験からだが、殺人を犯す時、間違いなくその人間の精神状態は普通ではないと思えた。

さらに殺人を実行し逮捕・勾留された後の精神鑑定はさらに顕著に異常を示すのではと事件記者時代、いつも考えていた。

だから裁判での精神鑑定の評価のあり方は極めて難しいと考える。
証拠採用された鑑定はあくまで犯行実行後のもの。犯行時の精神状態、責任能力は裁判官が推察するしかないからだ。

心身喪失と心神耗弱の判断迫られる裁判官の苦悩

たくさんの凶悪事件を見て、この被告に心身喪失が認められ、無罪になったら…と考える時は多い。
つまりこの被告が精神病院への措置入院のあと、また社会に出たらと考えるだけで恐ろしいケースもあるからだ。
当然、裁判官の心情も私たちと同じことがあるはずだ。

新幹線殺人の小島被告は本当は心身喪失ではなかったか?

昨年6月、東海道新幹線車内で乗客の男女3人が殺傷し殺人や殺人未遂の罪に問われ無期懲役が言い渡された小島一朗被告(23)は法廷で万歳三唱を叫んだ。自身の希望が無期で、有期刑ならまた外にでたら殺人をすると宣言していた。


果たしてこの男の精神状態はどうだったのか?私は二度と出さないため、精神鑑定と合わせ、裁判長の苦悩がみてとれた。

精神鑑定さえなかったら死刑に該当する裁判はたくさんあったと推察する。逆に精神鑑定により無罪とせざるを得ない事件も多々あったはずだ。

私はあくまで個人の勘や推察だが、裁判官が『被告は犯行時心神耗弱状態だったと』と述べ、心身喪失、即ち無罪と認定しない場合。逆にそのことにより罪を軽減するまでの心理的葛藤や気持ちの逡巡を痛いほど感じる。

死刑はやはりなかなか出せない、だしたくないのだろうとは感じる。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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