あの悲惨な東京・池袋の事故からすでに1年半もの時間が過ぎた。米寿を過ぎたこの老人、元通産官僚(工業技術院長)の飯塚幸三(89)は、自らが跳ねて死なせた母娘2人の死に、いまだ向き合うことができていないようだった。

なぜ静かに自分の罪と向き合わないのだろう
この老人はなぜ静かに自分の引き起こした事故と罪を受け入れることができないのか。
なぜ医師に指摘されながらもいつまでもクルマのハンドルを握っていたのか。予約したフレンチレストランに向かうため急いでいたんじゃないかったのか。
百歩譲って起訴状の一部は否認することはあっても、何の罪もない母娘(松永真菜さん・31才と長女莉子さん・3才)を暴走の末、殺してしまった重い事実の前に、普通の人間であるなら無罪を主張することなど、絶対できなかったはずだ。

運転していたこと自体、おかしい
事故の責任、母娘を殺したのは自分じゃなくクルマだ
それが起訴事実を否認して無罪を主張したことに、関係者はもちろん、多くの人たちがやり切れなさを感じた。
取り調べの段階から自らが運転するクルマが暴走し制御できなかったことについて『アクセルが戻らず、ブレーキが効かなかった』かのような供述をした。
そして初公判でも『車の何らかの異常で暴走したと思っております』と、述べた。
あの事故の責任は自分ではなく、クルマにあるということなのだろう。
検察はもちろん事故車を詳しく精査した結果、クルマのアクセル、ブレーキに不備はなく飯塚の過失と断定。飯塚をで起訴したのだ。
母娘の霊に詫びない…この老人の本性を見た思いが
飯塚は公判の冒頭、『遺族のご心痛を思うと言葉がございません。心からおわび申し上げます』と謝罪した。
これに対し夫であり父親の松永拓也さん(34)は『(事故の原因を)車の不具合と主張するなら、別に謝ってほしくない。謝るなら、判決が出て本当に申し訳ないと思ったときでいい』と語った。

私が気になったのは飯塚のクルマの暴走で無念の死を遂げた罪もない母娘の霊に、謝ることさえなかったことだ。この老人の人間性を垣間見た思いだった。
もりもとなおき