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活動家みたいな服装で臨んだ徳島新聞の面接と、森田茂社長の思い出

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筆記の日に面接があるのを、私だけ知らず

徳島新聞は筆記試験の日に面接まであることを知らず、就活はスーツ絶対の時代に、上は黒のハイネックのセーターに茶のコールテンのジャケット、下は綿パン、夜行で来たから痛恨だが無精ヒゲで臨まざるを得なかった。

面接は応接室に社長と役員5〜6人が並んでいたが、私が入るとみんな奇異なものを見るような顔を。『きよう面接まであるとは知りませんでした。こんなカッコで行儀悪くてすみません』と、謝罪した。

徳島のドン、森田さんとの出会い

しかし真ん中にいた森田茂社長がポケットに両手を入れ、足を応接のテーブルの上に投げ出したままなので、こちらも度肝を抜かれた。私の行儀悪さなどどこかへ飛んでしまった。

森田社長といえば当時は名実共に"徳島のドン"と言われていた。毎日よくこれだけ会社にお客さんが来るなぁと、感嘆したものだ。
共同通信社の理事も務め、共同理事会でも存在感は大きかった。

この森田さんが面接で私に興味を持ってくれ、共同通信のバイトの話し、どんな記者になりたいんだとか、今、何に興味があるんだ?みたいな話しで2人で盛り上がってしまい、ひとり5分の予定が25分も。

最後に森田社長は『共同通信の二次募集がある。それを受けなさい。もし落ちたらでいいからうちに来いよ』と、言っていただいた。

面接の帰り、なぜか小遣いをもらう

帰り、本社の玄関でタクシーを待ってたら庶務部長が手提げ金庫を持って走って来て『森田社長が君にだけ小遣い渡すようにと。ナンボにしよか?他の人に言うなよ』と。

確か当時としては大金の5万円をもらい、東京に戻りました。

森田社長は入社後も『元気でやってるか?』とか、『他にやりたいことあるか?』とか、よく声をかけていただいた。

今考えても、誰もがリクルートスーツにネクタイの中、ひとりだけ学生運動の活動家みたいな服装の私に森田社長が興味を持ってくれたのだと思う。

権力者に強く、弱者に優しかった森田さん

後で分かったことですが、森田社長は全くバリアーの無い方だった。ある現職大臣が来て話しをする時も、ポケットに両手を入れ、応接のテーブルに足を載せていたのに驚いたことが。

三木総理と。森田さんから見たら総理も特別な存在じゃなかった

しかし当時、会社が関係していた重度心身障がい者の福祉施設になぜかお供したことがありますが、その時はまたびっくり。

障がい者の女の子の作ったチラシ寿司を食べた時その子を呼び、
『おっちゃんはこんな美味しいチラシを初めて食べたよ。だから作った子に会いたかったから来てもらったんだよ。すまんがもう一杯、いただいていいかな?』

と。私はその時の女の子の本当に嬉しそうな顔を未だに覚えている。

森田社長は私より三回り上の辰年だった。常勤の相談役として君臨していたが、70少し超えたところで亡くなった。
実はその時から私は会社に興味がなくなり、辞めることを考えていた。

 

最近の入社面接は私服も増えているとのニュースを見て、こんな昔の話しを思い出した。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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