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渡部恒三さんの死去で思い出す『竹下派七奉行』の時代とは

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竹下派七奉行のひとりだった渡部恒三さん逝く


自民党の一つの派閥に、総理大臣を目指せるような政治家が7人も揃っている時代があった。

その名も『竹下派七奉行』。田中角栄の流れを汲む竹下登元総理と、当時の自民党副総裁金丸信の2人がオーナーだった派閥竹下派・経世会を支えたメンバーだ。
そして昨日、七奉行の1人で元衆院副議長の渡部恒三さんが亡くなった。87才だった。

七奉行…全員が総理を狙えた凄い実力者揃いだった

竹下派七奉行は、1980年代後半に竹下登、金丸信が自民党内に結成した経世会で、竹下、金丸の後継者と目された7人の有力政治家を指したもの。

その後、竹下系と金丸系の激しい対立で派閥内の権力闘争は凄まじく、最後は小沢一郎ら4人は派閥を割り、自民党を離党し新生党を結成。非自民連立政権をつくった。


竹下系は橋下龍太郎、小渕恵三、梶山静六。金丸系は小沢一郎、羽田孜、奥田敬和、渡部恒三だった。このうち、橋本、小渕、羽田の3人が総理になっているから、やはり凄い実力者揃いだったことが分かる。

渡部さん、政界の水戸黄門として最後まで大所高所から

昨日、亡くなった渡部恒三さんは私も何度かお会いしたが、素朴な福島弁で話し、庶民的でユーモアたっぷり、ひょうひょうとした人だった。晩年は政界の水戸黄門と呼ばれ、日本の行く末に大所高所から意見を述べていた。

元衆院議員で前阿南市長の岩浅嘉仁さんの励ます会などによく来賓で姿を見せていたが、当時のご挨拶を思い出す。
『岩浅君と私は共通点が多い。早稲田で雄弁会、そしてお互い妻が歯科医で、生活を支えて貰っている』。こんな話しを披露し笑いを取っていた。

政界引退後も御意見番として若い政治家たちの指導に当たっていた姿は、微笑ましいものがあった。

仲の良い小沢一郎さんとは、議席も隣同士だった

"政治は権力闘争"を肌で感じた時代

七奉行は1963年、小渕、橋本が初当選。小沢ら5人は1969年初当選の同期だった。今、健在なのは当時、1人だけずっと若かった小沢一郎だけとなった。

七奉行の時代。良くも悪くも政治は闘い、権力闘争であることを見せつけた、躍動感が半端ない時代でもあった。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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