『学生バイトで政治を見つめた日々ー河野太郎で思い出す父洋平と新自由クラブと田中角栄の時代』
田中角栄さんがロッキード事件で揺れている時、ちょうど共同通信社の政治部で長期アルバイトをしているところだった。
田中事務所のある砂防会館にお遣いで資料を貰いに行くこともあったが、会館には角栄さんの愛人で『越山会の女王』と呼ばれた佐藤昭さんがいつもドーンと鎮座していた。


ベテラン国家議員10人分の実力者といわれ、オーラは凄かった。声をかけてくれないかなといつもチラ見したが、目が合うことはなかった。
角栄さんが総理大臣を辞職する際のコメントメモを、私が事務所に取りに行った。そして国会記者会館に戻る車のなかで、どの記者よりも早くそれを一読したのだ。
まさに日本の政治史の一コマに今、自分がいる実感を覚え、身体が震えたのを覚えている。
このバイトは魅力的だった。国会記者会館に常駐したが、政治の最前線を取材する記者たちから様々な話しを聞くのも楽しかった。
国会内では必ずトイレに行き、後の総理大臣、三木武夫さんや福田赳夫さん、大平正芳さん。椎名裁定で三木総理を実現した椎名悦三郎さんらとわざわざ狙って連れションしたのも凄い思い出だ。
田中政治を批判し、後の自民党総裁河野洋平さんが仲間と自民党を飛び出し、新自由クラブを結成したのはその頃だった。
1976年の年の瀬の総選挙。共同通信開票センターで作業をしながら開票を見守った。新自由クラブの想像以上の躍進に、保守政治の大きなうねりを感じたものだ。

昨日、告示された自民党総裁選挙。45年前、日本にほんの一瞬だが希望を与えた河野洋平さんの子息、河野太郎さんが出馬した。
さてさてどうなることか。父親のように一瞬じゃなく、大きな希望を与えてくれる存在になれるのだろうか。
自民党の改革はもちろん日本の保守政治を健全で良い方向に修正するために、一番頑張ってもらいたい人ではある。
(数年前訪れた国会記者会館。河野洋平が新自由クラブを立ち上げた時の記者会見。今だに続く角栄さんの出版物。やはり魅力的だ)
もりもとなおき