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猛暑ということばさえなかった拓郎と同じ"夏休み"が懐かしい

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人生で一番、暑いと感じたのはインドのカルカッタだった。その時、確か気温は38°くらいで、湿度は優に80%は超えていた。
そのカルカッタより今の徳島の方が間違いなく暑く感じる。群馬県などはもうインドの暑さを軽く超えたんじゃなかろうか。


インド人は仕事もせずに日陰でゴロゴロしてる人が多かったが、その時は当たり前だと思った。この暑さで働ける訳がないと。
それに比べると日本人の勤勉さはやはり凄い。

とても寒かった夏も覚えている。社会人になって3年目、1980年だった。

改めて記録を見ると例えば東京の場合、8月に30度を超えたのはわずかに5日間だけ。最高気温も32.2度という信じられない低さだったのだ。

終日雨だった8月3日など最高気温は21.0°、最低気温は18.6°という涼しさ。8月だけで最高気温が25°以下は、何と10日間もあったというから驚きだ。

もちろんこの年は東京だけじゃなく全国が同じ傾向。冷夏は農作物には大きな被害をもたらしたし、エアコンなどは全く売れないと、新聞社会面を賑わした。

朝から麦わら帽子をかぶってセミとりに行き、昼からはクタクタになるまで川で遊んだ。
夕立に打たれて家に帰ったらお母さんがスイカを切ってくれた。夜はきょうだいで花火をして絵日記を描いて寝る、幸せな夏の日々が普通にあった時代…


私たちの夏は吉田拓郎の名曲『夏休み』そのものの少年時代を過ごしたが、今の子どもたちは常に熱中症の危険にさらされている。

つい2〜30年までは地球温暖化など話題にもならなかったし、猛暑などということばは、まだ生まれてもいなかった。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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