いつも輝いていた早大ラグビー部員たち
今度、生まれ変わったら早稲田の赤黒ジャージーを着て国立競技場のスターになりたいと、何度夢想したことか。そのくらい彼らの存在は大学の中で輝いていた。
そして早稲田ラグビーの魅力の源泉は、当時からスポーツ推薦の選手もいたが、地方の進学校出身の文武両道の選手が多く占めているのもカッコ良さだった。
私が在学中、あの神戸の灘高校出身のレギュラーもいて驚いたことがあった。
部の無い高校から早大ラグビー部へ
ごく身近でもラグビー部のない高校なのに息子の同級生は3年間、他校のラグビー部の練習に加えてもらって自分を鍛えた。
そして"早稲田でラグビーをしたい"という強烈な意思を持ち続け1年の浪人生活の後、見事早稲田の政経に合格、ラグビー部の門を自分の力で開けた。こんな選手もいるのが、早稲田ラグビーなんだろう。
チームの前でユーミンがノーサイドを
そしてあの情景もたまらなかった。
旧国立競技場が取り壊されることが決まった後の、国立での最後の早明戦。何とユーミンがきてあのラグビーを歌った名曲『ノーサイド』を晩秋の競技場で歌った時は、またしびれたものだ。
逆転トライした佐々木は本当なら慶大ラグビー部だった?
そして準々決勝で早稲田ー慶応のライバル対決となった先日の大学選手権。
4点ビハインドのラストプレーで、ウィング佐々木尚(4年)が劇的な逆転トライ。20ー19で早稲田が勝利し、5シーズンぶりのベスト4進出となった。
佐々木、渾身のトライ
誰もがもうダメだと思っていた。
私が感動したのはこのプレーだけじゃない。
この佐々木の慶大戦にかける思いは人一倍、強かった。なぜなら佐々木は神奈川県桐蔭学園高校3年の時、神奈川県大会決勝で慶応高校に破れ、花園への切符をあと一歩で逃していたからだ。
そしてそれだけじゃなく、AO入試で合格し慶応への進学が決まっていたが、『どうしても慶応に勝ちたい』との思いで早稲田を受験し、慶応を蹴って早稲田に入学。高校当時のライバルが揃った慶応に雪辱を果したい一心で精進した。
"打倒慶応"を誓った執念のトライだったんだと思うと、またしびれた。
準決勝は明治と。勝てば帝京、天理の勝者と決勝となる。
もりもと なおき