なぜかいつも存在感を感じたカップヌードル
日清のカップヌードルが発売され、今年で50周年とか。1971年だから'70安保の翌年。ちょうど高校を卒業したものの大学は全て不合格で、河合塾に入った年だった。
当時も今も食べる度に本当に凄い発明だと思う。人生の様々な場面で食べてきたが、なぜか持ってきて良かったとか、あって良かったとか、極めて存在感が大きいのがカップヌードルなのだ。

カップヌードルと猟銃殺人事件と山ちゃんの思い出
忘れられない仕事仲間との大切な思い出もある。昭和61年だから1986年の6月のことだった。
徳島県南部の旧日和佐町で、男(53)がささいなことで口論となった挙句、散弾銃で近所の夫婦を射殺。さらに逃げる途中、顔見知りの71才の男性も射殺、山に逃げこんだーという、田舎では100年に1度もないような大事件が起こったのだ。
(のちに日和佐猟銃殺人事件といわれ、犯人は高松高裁で死刑が確定、執行された)

田舎の深夜、店はなく、あったのは1個のカップヌードル
事件担当の私はその年に入社した船越君の運転で現場へ。日和佐支局の山内君、隣の牟岐支局員と合流し、4人で取材に入った。
事件慣れしている私でも3人殺害の現場は腰が引けたが、あとの3人はかなり緊張していたのを覚えている。
犯人は山に逃げ込んだままだったが、船越君を警察の山狩に同行させ、被害者の顔写真、事件の本記、雑感、被疑者の横顔を記事にしてFAXで送り、やれやれとなった時はすでに午前零時を回っていた。
昼メシ前にスタートしたからみんな朝から何も食べていない。しかしひなびた漁師町だ。夜8時には全ての店は閉まっている。もちろん当時はコンビニもなかった。
腹ペコの山ちゃんがカップヌードルを食べなかったわけ
『腹へったなぁ。山ちゃん(山内君)何もないのか?』と言ったらゴソゴソと出してきたのが1個のカップヌードルだった。
3人で分けて食べようと順番に食べたが、残りの3分の1、山ちゃんは『食欲がないから、食べたくない』と。
じゃあと、さらに2人で食べてしまった。
隠れてそっとスープをすすった山ちゃん
1センチほどスープが残った容器を捨てるように山ちゃんに渡したが、台所に行った山ちゃんが、そのスープをそっと隠れて飲んだのを、私は見逃さなかった。
山ちゃんも本当は腹ペコだったのだ。それを応援に行った2人に食べさせ、さらに山に入ったままで、何も食べていないはずの船越君を気遣ったのだ。口には出さないが、そんなヤツだった。

まだ35才の若さ、信じられない山ちゃんの死
山ちゃんはその後、本社に戻り、私が抜けたあとの警察担当に。取材力があり、文章力があり、間違いなく会社を背負って立つ後輩だったが…
猟銃事件からわずか5年後のことだ。同僚が運転するクルマで汚職事件取材に向かうクルマの中で突然、心臓マヒで死んでしまった。
まだ35才だった。
慶応ボーイ。誰にも優しくてとにかく仕事ができたから、彼に仕事が集中していた。
亡くなって30年。カップヌードルを見るたびに、山ちゃんのことを思い出さないことは、ただの一度もない。
もりもとなおき