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癌の告知と受け止め方はひと様々。私は妙に冷静だった

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『がん告知と受け止め方。私は妙に冷静で客観的だった』

昔、柳田邦男のがん回廊の朝(あした)というノンフィクション小説がベストセラーになった。1962年に開設された国立がんセンターを舞台に、癌と闘う医師や患者の物語だ。


まだ癌が不治の病として『癌=死』と言われていた時代。今だに頭に残っているのは『がんセンターに入院中の患者は皆んな癌なのに、大半は自分が癌と思っていないことだ』との記述だった。少し寒々としたのを覚えている。

私の父親は35年前、胃がんで亡くなったが、医師には癌告知しないようにお願いした。まだ抗がん剤治療も手探りの時代だ。オヤジは癌であることを知らないまま旅立った。
要するに当時、医師たちは大半の患者に癌の告知をしなかったのだ。

その後、様々な議論を経て、今はほぼ100%の患者に癌は告知される。さらに程度(ステージ)はもちろん、場合によっては余命宣告まで。

私がお世話になるのは徳島大学消化器・移植外科。もちろん、ここで初診を受け告知された。
というより内視鏡検査の写真をパソコンで開き、結構深刻な進行癌であること。今後どんな治療をしていくか。明日から抗がん剤投与をするから直ぐ入院をーという、慌ただしいものだった。

この段階で頭が真っ白になる人は多いという。私はまるで癌患者の取材をしているような感じで、ドクターから淡々と客観的に話しを聞いている自分がいた。
ドクターの説明を聞きながら、これまで内視鏡検査を怠ったことなどが、後悔と共に頭の中を一瞬、グルグルと駆け巡った。でもそれも自分の運命だ。

それよりいかに妻にショックを与えないよう伝えるか。しかしドクターから『奥様も明日、一緒にお話しを』と言われたことに、『うーん』という思いだった。
妻には『どーってことないよ』と済ましたかったから。

担当の親分は有名な島田光生教授、主治医のY先生、女医のT先生にこれからは全てお任せして、私の癌闘病は始まった。
(抗がん剤副作用の脱毛に備え、短髪にした5月。下は告知された外来診察室)

【数日前、私は現在、深刻な胃がんであることをFBでカミングアウトした。2人に1人が癌に罹患する時代。これから私の癌闘病記を通じ、癌治療の今、癌患者の日常や心情を知っていただければと思う】

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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