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石原慎太郎・裕次郎みたいに凄くなくとも男の兄弟が欲しかった

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石原慎太郎・裕次郎という日本の昭和史に残るような兄弟を見る度に、自分にも兄貴か弟が欲しかったと、いつも思ったものだ。

もっとも私も姉の上に兄がいたんだが、私が産まれてきたのと入れ替わるように死んでしまった。だから一緒に遊んだ記憶もない。

上が幼くして亡くなった兄、下が私

そんな思いで『石原慎太郎と日本の青春』を読んだ。過去に文藝春秋に掲載されたものを先日の石原氏の死後にまとめ、永久保存版として緊急出版されたものだ。


交流のあった様々な作家のことを書いているが、それより一番、目を引いたのは弟裕次郎の死に際しての『裕さんよ、さらば』(1987年9月号)だ。
あの当時も読んだが改めて読んでみてこの兄弟の深い絆を感じた。

この兄弟は一般的には慎太郎氏が一橋大学在学中に『太陽の季節』で芥川賞を獲り、それが映画化され、裕次郎が主役を務めたからこそ、銀幕のスターになったとされている。
つまり兄のおかげだというわけだ。

これに対し慎太郎氏は異を唱えている。
つまり裕次郎のような破天荒な弟がいたからこそ、あの小説が書けた。作家として華々しくデビューができたのは弟、裕次郎のおかげなんだよーと。


また有名な話しだが、裕次郎が独立プロでの出世作、『黒部の太陽』を制作する時、三船敏郎の出演を妨害するなど、既存の大手映画会社5社の激しい妨害にあった。

この時、弟が酒を飲み悔し泣きする姿を初めて見た慎太郎は、黒部ダムを造った関西電力や鹿島建設などゼネコンに働きかけた結果、映画会社の圧力を跳ね除けてあの壮大な映画が完成したのだった。
石原プロのその後の栄光は、この映画の成功なしにあり得なかった。

会えば必ず『バカヤロー』から始まった兄弟だったという。

慎太郎氏は『戦後、昭和という時代は、俺と裕次郎が彩ってきた』と言ったが、決して自惚れではない。
この兄とこの弟だったから、とてつもない輝きを放ったのだろう。

私も兄貴が幼くして死ぬことなく、共に人生を送りたかったとつくづく思う。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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