『高校時代、哲学の入り口を学んだ柴田先生の倫理・社会』
今はこんな科目はあるんだろうか?今考えると、私の高校2年時の『倫理・社会』の授業はひじょうにハイレベルなものだった。
この学校でこんなにレベルが高くて大丈夫か?と思うくらいだった。
わずか週に一度の授業だが、今思えば『柴田』という名古屋大学文学部出身の教師は、ほぼ大学の哲学科のような授業を展開したのだ。

ギリシャ哲学のソクラテスやプラトン、アリストテレスの話しは、新約聖書やヘレニズム哲学にも及んだ。

アウグスティヌスから始まる中世の偉人、ダンテやトマス・アクィナスの登場。
そして近世のデカルトやカント、ルソー、ドイツの哲学者ヘーゲルまで、思想はむろん人物像まで柴田先生の語りは軽妙で、極めて理解し易く興味深いものだった。

とりわけヘーゲルはマルクスやエンゲルス、レーニンにまで多大な影響を与えた巨人だ。
教科書でのヘーゲルの登場はほぼ学年が終わる頃だ。授業は終了に近づいていたが、柴田先生の講義は最高潮に達したのを覚えている。
そして最後の期末試験の問題はたった一問、『政治的中立とは何か?』
これがなぜ倫理・社会の試験の設問なのかと思いながら、私はヘーゲルからの思想的流れ、つまりカールマルクスやレーニンの思想が、当時ピークだった学生運動にも色濃く影響を与えていることなどを指摘。
その時の日本の政治状況を鑑み、自分なりの考えをまとめた。
柴田先生にとって私の答案は恐らく我が意を得たりだったのだろう。
答案返却の時に皆んなの前で私の文章を読み上げ、『こういうことなんだよ』と。もちろん、100点とされていた。
大学でも一般教養で『哲学』を取ったが、柴田先生の倫理・社会の方が遥かに迫力があったのは間違いない。
柴田の倫社の授業は皆んな楽しみにしていたが、受験科目で倫理・社会を選択した友人は、1人もいなかった。
(ソクラテスとヘーゲル)