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空を飛ぶのも怖いが、船も常に危険が伴うものだ

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本四架橋(大鳴門橋〜明石海峡大橋)が開通するまでは徳島は島国だったから、関西へ行くには船を利用するのが不可欠だった。

阪神フェリー、徳島フェリー、南海フェリー、淡路フェリーの各フェリーや高速船や水中翼船で神戸や大阪、和歌山に渡ったが、クルマと一緒の時もあればカラダひとつの時もあった。
そしていつも気になったのは乗船する日の天候だった。

完全に台風が間近に接近したり上陸した時は船便は欠航するが、まだ大丈夫と微妙な時もある。こんな時はかなり揺れるから船酔いが辛かった。

また大きく揺れるとやはり怖い。フェリーの船室は客が眠れるように座席以外にフラットな広いスペースもあったが、神戸からの帰路、寝ていた私たちが転がるほど激しく揺れたこともあった。
船室に悲鳴も響き、ある意味、飛行機の揺れより遥かに怖かったのを覚えている。

もちろん、大きなフェリー会社は毎日、天気予報は詳しく分析していたはずだから、出航できた以上は大丈夫と安心はしていたが、台風が接近している時や通過した直後はやはり不安はあった。

かなり昔だが1958年1月26日夕、和歌山港から小松島港行きの南海汽船所属南海丸は、悪天候の中、乗員乗客167人を乗せて遭難。沈没し全員が死亡、または行方不明という大惨事があった。

歴史的な事故だがフェリーに乗るたびに年配記者らに聞かされた、この事故の話を思い出すことは多かった。

北海道知床の観光船事故は、どうやら運営会社による人災の可能性がひじょうに高い。


小さな船に乗っていた皆さんは、船体が傾く中、どれだけ恐怖だっただろう。水温は2〜3°だったというからどんなに冷たかったことか。
家族のためにも全員が見つかって欲しい。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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