NYタイムズ記者に吠えない犬と呼ばれた日本の政治記者
元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんと言う人が日本の政治報道を描いた『吠えない犬』という本を出した。

官邸記者クラブの意気地の無さなど、今のわが国の政治記者たちの情け無さを書いているという。予約したから月末に届くのが楽しみだ。
内容はまた読んでからとして、恐らくニューヨークタイムズの敏腕記者としては、日本の政治記者たちの腰抜けぶり、体たらくに呆れたのだろう。"吠えない犬"はもちろん、日本の政治記者を指している。
それもかれが身近に接した記者たちだから、朝日や毎日、読売、共同通信など大手ばかりだと思う。

朝日さえも…"権力との戦いに負けた朝日新聞"と
そしてネトウヨ諸君は朝日新聞をずいぶんと買い被っているが、マーティンさんは『朝日新聞がある時期を境に権力との戦いに負けた』と、指摘している。
これは私もマーティン氏に激しく同意する。
とかく評判の悪い官邸の記者クラブだが、テレビを眺めていても分かるように比較的、若い記者が多い。皆んな一流大学を出たエリートばかりだ。
東京新聞の望月いそ子氏のように、徹底的に闘う記者もいるが、とにかく大半はおとなしく、権力者と闘う姿勢のなさには疑問を抱いてしまう。
なぜ先輩記者は記者稼業の厳しさ、矜持を教えないのか
いつも思うのはこの記者たちの腰抜けぶりに、各社の先輩、上司はなぜ厳しく指導しないのかとの疑問だ。
この世界の人間関係はどちらかと言えば徒弟制度みたいなもの。みんな先輩たちの取材姿勢や権力との距離感を見て、一人前の記者に育つ。なぜもっと厳しく、鋭く指導し、勇気ある記者に育ててやらないのかなと、思う。
各社のキャップクラスや部長、デスククラスは現場にいる時は相応に鍛えられ、激しい特ダネ競走をしたはずだ。なぜ若い記者に甘いんだと、気になるところだ。
それともデスクは部長に忖度し、部長は局長に忖度し、さらに局長は社長に忖度し、社長は政権に忖度しているのだろうか。今の報道姿勢を見るとそう受け取られても仕方あるまい。
もりもとなおき