脳死判定から20年。立ち遅れる日本の臓器移植
臓器移植法に基づく初の脳死判定が1999年に行われてからちょうど20年。それまでの議論を含めれば、"脳死"という言葉が脚光を浴びて早、半世紀が経つ。
しかし欧米に比べ臓器提供のための脳死判定は少なく、この20年間でわずか584例しかない。
重い心臓病の子どもたちが、莫大な手術代を用意してまでアメリカに行くのは、日本ではまず脳死判定に伴うドナーがいないためだ。
30年前、徳島市で開かれた日弁連の人権大会を取材したが、その時の研究テーマが『脳死は人の死か⁈』という、当時としては極めて重いテーマだった。
臓器移植を進める医学者はもちろん、法律家、作家で評論家の立花隆さんらが基調講演やパネリストで参加。相当、深い議論が交わされたのを覚えている。
脳死を死とすることに、違和感あった時代
もちろん明確な指針は示されなかったが、2日間に渡る議論から、やはり臓器移植のためには、脳死者からの迅速な臓器提供は不可欠。
いつまでも脳死は人の死か⁈と、議論を続ける状況ではもはやないような、大会のまとめになったような気がします。
私はこの大会の報告と合わせ、新聞3分の2ページに渡り自分なりに脳死についてリポートを書いたが、大胆にも『脳死は人の死ではないと思う』と、結論づけた。
何故なら例え脳波に反応がなくとも、呼吸が喉に入れた人工呼吸器によるものであっても、温かい肉体、そして何より心臓が鼓動を打っている。
これを私は絶対に死体とは言えない、死んでいるとは言えないとした。
もちろん、今は脳死は死だと言えるが。
日本医学界に残った和田心臓移植の後遺症
日本の臓器移植は何故に遅れたか。
やはり1968年、札幌医科大学で行われた和田心臓移植が、のちに数々の疑惑を呼んだからだと思う。
溺れたドナーの青年が脳死ではなく、蘇生可能だったのではないか?
さらに心臓の提供を受けたレシピエントの18才の青年は、移植などしなくとも心臓の治療は可能だったのでは?などだ。
和田教授は殺人罪などで刑事告発されたが、嫌疑不十分でいずれも不起訴となった。
立ち遅れる日本の臓器移植の現状を変えるため、厚生労働省は、脳死判定の経験豊富な病院からピックアップし拠点施設をつくり、脳死判定の経験の少ない連携施設に医師らを派遣するシステムをつくるという。
判定病院を増やすことで臓器提供を増やすのが狙いだろう。
莫大な費用を使い、アメリカまで移植手術に行かなくても良いように、なるんだろうか。
もりもと なおき