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自民党総裁選で改めて思う総理大臣と新聞記者のあるべき緊張感

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新聞は大嫌いだ!退陣会見で吐き捨てた佐藤栄作さん


1972年だからいまから46年も前だ。佐藤栄作首相の退陣会見を見ると、今更ながら当時の新聞記者は頑張っていたんだなと思う。

長期政権を誇った佐藤さんが最後の大切な退陣の記者会見で内閣記者会を前に言ったのは

「テレビは前へ。NHKは?テレビを優先したい。国民に直接話しかけたいから。新聞はいらん。文字になったら違うから。偏向した新聞は大嫌いなんだ」と、一旦、退席。

出ていけ!で新聞記者は全員退席

それでも気配りの政治家、竹下登官房長官が取りなして再度席に着いたが、今度は内閣記者会代表が「さっきの話しは聞きづてならない。許せない」と抗議すると「じゃあ出ていけよ」と。

売りことばに買いことば。「じゃあ出ましょうか?」「出よう出よう」と、新聞記者は全員退席、テレビカメラだけの前代未聞の会見になった。

テレビ以外、新聞記者は全員退席、空っぽになった会見場


佐藤さんと言えば7年8ヶ月も総理大臣の職を務めあげ、沖縄の本土復帰も実現させた戦後史に残る宰相だ。新聞記者連中とも上手にやってたと思ったが、最後はマジ切れしたのに驚いた。

総理、記者に緊張感のあった時代


ということは長期政権の間、ガマンならないことを書かれたり、自分に対しての厳しい論調に耐えてきたのか?

逆に考えたら記者連中も権力に対し今のような情けない忖度をせず、きちんと論陣を張っていた証かも。記者と大政治家が真っ向から戦ったいい時代だったのかもしれない。

今は会見でオマエ呼ばわりされても反論できない記者、記者クラブ。当時は総理にさえ「さっきの発言は許せない。まずそれからだ」と、きちんと言っていう気骨があった。

ちなみに「じゃあ出ましょうか⁈」と先陣切ったのは、私の知り合いだった共同通信の記者。続いて促したのは、ことし亡くなった若き日の毎日新聞、岸井成格さんだった。

翌日の毎日新聞1面は「佐藤政治に終始にじんでいた“暗さ”が最後に吹き出した」と書いた。

この後総理大臣となった田中角栄は「政治家は批判されるのが仕事、新聞記者は批判するのが仕事だ」と、大らかな人だった。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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