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裕次郎の死から33年。"鉄の結束"誇った石原軍団ついに解散へ

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男なら憧れる石原軍団の"鉄の結束"


理屈抜きに石原裕次郎が好きだったので、理屈抜きに石原軍団にも憧れた。男は"鉄の結束"ということばが大好きなのだ。

ボスである裕次郎さんをリーダーに渡哲也、舘ひろし、神田正輝ら錚々たるメンバーが同じ方向を見ていることに憧れた。


ファンが昂じて学生時代はエキストラで『太陽にほえろ』にも出た。屋台のラーメンを女と食べている後ろ姿だけだったが、この一瞬だけ自分も石原軍団の一員になれたと思った。
小樽の『石原裕次郎記念館』を初めて訪れた時の感激は忘れられない。

石原裕次郎記念館で

日本映画界で歴史重ねた石原プロがついに解散へ

そのずっと憧れ、畏敬していた石原軍団・石原プロモーションが来年1月ついに解散するとのニュースが流れた。

独立したり移籍したり様々だが、ボス亡きあとのボス、渡哲也はフリーで芸能活動を続けるというが、もう78才だ。体調もあまり良くはないようだ。軍団ではないが弟さんの渡瀬恒彦さんも、もういない。

石原プロ設立が1963年。そしてあの名作『黒部の太陽』の公開が1968年だからそれからでも既に半世紀以上も経過した。
『太陽にほえろ』『西部警察』などいずれもテレビドラマと思えないスケールの作品だった。

歌も全てヒットチャート入りした歌手石原裕次郎

裕次郎さんは国民的俳優であったが歌手としても有名で、出す歌は全てヒットチャート入りしたのも凄かった。私も『赤いハンカチ』『恋の街札幌』『俺の小樽』『北の旅人』は何百回、歌ったことか。

そして映画制作ももちろんだが、石原軍団の鉄の結束を見せつけたのは、大災害での炊き出しの手際良さだっただろう。いつのまにか忙しいメンバーが現地に集まり、炊き出しで被災者たちにどれだけ元気と勇気を与えたことか。

裕次郎が政治家ならきっと日本のJFKになっていた

凄いなと思うのは裕次郎さんが亡くなったのは1987年の7月17日だ(うちのオヤジの2日後)。そして以来33年間、ずっと軍団が存続したのも凄いことだ。亡くなった時、裕次郎さんはまだ52才の若さだったから、余りにもったいなかった。

『太陽の季節』で芥川賞を取り、同名映画で裕次郎さんが銀幕にデビューするきっかけを作った兄石原慎太郎さんは88才。政界は引退したがまだまだお元気だ。

兄石原慎太郎の応援演説をする裕次郎


慎太郎さんと同じく、石原裕次郎がもし政治家になっていたら…私は日本のJ・F・ケネディみたいになったんじゃないかと、よく夢想する。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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