男なら憧れる石原軍団の"鉄の結束"
理屈抜きに石原裕次郎が好きだったので、理屈抜きに石原軍団にも憧れた。男は"鉄の結束"ということばが大好きなのだ。
ボスである裕次郎さんをリーダーに渡哲也、舘ひろし、神田正輝ら錚々たるメンバーが同じ方向を見ていることに憧れた。

ファンが昂じて学生時代はエキストラで『太陽にほえろ』にも出た。屋台のラーメンを女と食べている後ろ姿だけだったが、この一瞬だけ自分も石原軍団の一員になれたと思った。
小樽の『石原裕次郎記念館』を初めて訪れた時の感激は忘れられない。

日本映画界で歴史重ねた石原プロがついに解散へ
そのずっと憧れ、畏敬していた石原軍団・石原プロモーションが来年1月ついに解散するとのニュースが流れた。
独立したり移籍したり様々だが、ボス亡きあとのボス、渡哲也はフリーで芸能活動を続けるというが、もう78才だ。体調もあまり良くはないようだ。軍団ではないが弟さんの渡瀬恒彦さんも、もういない。

石原プロ設立が1963年。そしてあの名作『黒部の太陽』の公開が1968年だからそれからでも既に半世紀以上も経過した。
『太陽にほえろ』『西部警察』などいずれもテレビドラマと思えないスケールの作品だった。
歌も全てヒットチャート入りした歌手石原裕次郎
裕次郎さんは国民的俳優であったが歌手としても有名で、出す歌は全てヒットチャート入りしたのも凄かった。私も『赤いハンカチ』『恋の街札幌』『俺の小樽』『北の旅人』は何百回、歌ったことか。
そして映画制作ももちろんだが、石原軍団の鉄の結束を見せつけたのは、大災害での炊き出しの手際良さだっただろう。いつのまにか忙しいメンバーが現地に集まり、炊き出しで被災者たちにどれだけ元気と勇気を与えたことか。

裕次郎が政治家ならきっと日本のJFKになっていた
凄いなと思うのは裕次郎さんが亡くなったのは1987年の7月17日だ(うちのオヤジの2日後)。そして以来33年間、ずっと軍団が存続したのも凄いことだ。亡くなった時、裕次郎さんはまだ52才の若さだったから、余りにもったいなかった。
『太陽の季節』で芥川賞を取り、同名映画で裕次郎さんが銀幕にデビューするきっかけを作った兄石原慎太郎さんは88才。政界は引退したがまだまだお元気だ。

慎太郎さんと同じく、石原裕次郎がもし政治家になっていたら…私は日本のJ・F・ケネディみたいになったんじゃないかと、よく夢想する。
もりもと なおき