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親族でなくとも忘れられない墜落JAL機で書いたビジネスマンの遺書

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1985年8月12日。徳島市の阿波踊りが開幕した直後だった

乗員乗客520人が犠牲となった日航機墜落事故から34年が経った。当時、徳島の関係者も10数人が犠牲になったから、私は取材のため現地に派遣された。
8月12日、阿波踊り初日だった。

当時、御巣鷹山で収容されヘリコプターに乗せられた遺体は藤岡工業高校の体育館に次々と収容されたから、遺体と対面する遺族を取材した。

エリートビジネスマンの壮絶な最期をしるした家族への遺書

記者会見をする遺族もあった。
会社の手帳に家族に当てた遺書を残したサラリーマンの家族の会見を、覚えているだろうか。
当時、大きなニュースになった。

ダッチロールと言われる激しい揺れの中、絶望的な状況の中、よくも219文字も書けたなと思った。

しかしそれ以上に父親の人生への総括、家族への思い、突然襲いかかる死への恐怖と諦め。

会社の手帳に必死にしたためた本当の人生最後のことばに心うたれ、日本のビジネスマンの凄さを感じた。

大阪商船三井神戸支店長、河口博次さん(当時52才)東京から単身赴任の神戸に帰るところで事故に遭遇した。

『本当に今までは幸せな人生だった』

マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい 
パパは本当に残念だ 
きっと助かるまい 
原因は分らない
今五分たった 
もう飛行機には乗りたくない 
どうか神様 たすけて下さい 
きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは
何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした 
どこえどうなるのか 津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ 
さようなら 
子供達の事をよろしくたのむ 
今六時半だ
飛行機は まわりながら 急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している

妻、息子、娘。家族3人は涙ながらの会見だった。そしてそれぞれが口にしたのは夫を父を誇りに思うということだった。

犠牲になった人たちは、人生の儚さと生き方を教えてくれた

あとわずか何分間が残りの人生と理解する中で、家族への精一杯の感謝と思いを伝えた。
自分がこの人の立場だったら、絶対に無理だ、書ける訳はないと思った。

数日前、墜落現場となった群馬県の地元紙に、当時大学生だった長男の近況が報道されていたが、やはりこの父の最後の言葉は、片時も忘れることなく、人生を送ってきたという。長男もすでに54才、父の年齢を超えている。

あとこの飛行機に乗り合わせた国民的歌手だった坂本九さんの妻、柏木さんの会見も立ち合った。
まだ43才。われわれの心に残る歌をたくさん歌ってくれた歌手だけに、人生の儚さを感じた。

約10年前、この事故と取材にあたった地方紙記者たちを描いた『クライマーズハイ』という映画を観たが、まさに私が経験したあの現場そのものだった。
34年。私もずいぶんと歳をとった。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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