政府の無い国より、新聞の無い国が困る
アメリカに『新聞の無い国と政府の無い国なら、どちらをとる?』との質問に識者は『政府の無い国』と即座に答えた、という逸話がある。
どういうことか。
つまり政府が無くとも国民は生きていけるが、新聞が無かったら民主主義は守れない。それは国民にとって極めて不幸なことだーと。
それだけ民主国家の国民生活に新聞は重要ということだ。
まずこの話を官房長官の菅さんに知ってもらいたいものだ。
望月いそこ氏擁する東京新聞と官邸のやり取りで国民の代表は国会議員。記者はそれにあらずと言い放った官邸に、驚きの声が上がっている。
そして政権にここまで舐められ、権力の監視という職務を放棄し、逆に権力と癒着した官邸記者会はじめ記者クラブのお粗末さ、ダメさを改めて私たちも知らなければならない。
政権の思い上がりここまで
官邸と望月いそこ氏擁する東京新聞のやり取りを聞くにつけ、安倍政権のメディアを押さえようとする思い上がりにも似た動きには、腹立たしい思いだ。
東京新聞が「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」
とした当たり前の主張に対し、官邸側は「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業であり、会見に出る記者は貴社内の人事で定められている」との反論があったという。
右が望月記者の質問を執拗に妨害すると本人に言われている上村広報担当
政治家は政党やグループの代表かもしれないが、全く国民の代表などと言われるのは笑止千万。
じゃあ、杉田水脈や準強姦疑惑の田原毅が代表かと言われれば、断じて否だ。
あと何党の全ての政治家だって全て選挙区の代表。単独比例や比例復活の者など、ますます代表という意識は国民はない。
もちろんメディアも最近は胸を張って国民の代弁者とは言えない連中も多い。
安倍忖度報道続ければメディアの不信もさらに
もっとも上層部が安倍さんと会食を重ね、部下に忖度報道を強いるメディアのお粗末さも指弾されるべきだろう。
望月いそこという記者への菅官房長官や上村秀紀氏という広報担当の不誠実さは、ひいて言えばメディアの側にも大いなる責任があると言わざるを得ない。
望月氏が会見での執拗な取材妨害が上村某から1年も続けられてきても記者会はむろん、他の記者から抗議ひとつ出なかった。
内閣記者会への官邸からの望月氏排除を匂わす申し入れなど、常識ではあり得ない。
こうしたことが当たり前みたいに起こったのも、官邸の思い上がりと、記者会の卑屈さだろう。
クラブはもっとオープンに
私はどんなにお粗末でも、メディアは国民を代表して権力の監視をする義務と責任の上に存在すると思っている。
もりもと なおき