1960年代、われら世代の思春期に大きな影響を与えた雑誌は『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ』ではないだろうか。
確か名古屋市立川名中学2年の時だ。
わがF組の渡部君が『こんな週刊誌が出たんだ。ヌードグラビアが凄いがや』と、学校に持ってきたのが創刊されたばかりの週刊プレイボーイだった。

渡部君は中2とはいえ僕らの中では大人びていた。マセガキだった。すでに資生堂の整髪料MG5を使っていたし、髪は毎朝ドライヤーで整えているとの話しだった。
確かにクシを胸ポケットに入れ、暇さえ有れば整えるなど、お洒落だった。
そんな大人な渡部君が買ってきた週刊誌だ。きっと凄いに違い無い。5〜6人でドキドキしながらページをめくったが、衝撃だった。
当時の僕らにはあまりに刺激的なグラビアが!ネットで何でも検索できる今どきの中坊と違い、こんなみずみずしい女性の裸など初めて見たからだ。とにかく生々しかった。
恐らく見たヤツみんなフル勃○していたのは間違いない(汗
のちに旭ヶ丘高校から東大へ行き官僚になったO君や、明和高校や向陽高校から名古屋大学に進学したFケンやC君ら秀才連中も、目を輝かせていた。
以後、毎週、渡部君が持参するプレイボーイを男子みんなが楽しみにしていたが、ある日、渡部君が職員室に呼ばれてしまった。
戻って来て言うには担任の山川先生にしこたま怒られたらしい。
渡部君は『クルマのグラビアが楽しみで買っているので、ヌードグラビアには関心ありません』と釈明したというが、そんなウソが通じるはずもない。
もう学校へは持ってこないことを約束させられ、最新号を没収された。
どうやら女子がチクったようだった。
プレイボーイ創刊号は平凡パンチから遅れること2年半。1966年11月15日号が創刊。へんてこりんな表紙は女性のカラダを動物に模したものだった。

トップ記事は"自殺直前のマリリン・モンローが電話したのは(JFKの弟)ロバート・ケネディだった"というものだった。
1冊60円だから中学生でも買えたのだ。
もりもとなおき