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過酷な勤務でも楽しかった新人記者時代の正月は青春の思い出

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昔話しで恐縮だが、私は若い新人記者時代、大晦日が宿直、さらに明けて元旦もたった1人でそのまま日勤で、その夜も宿直をさせられた。

これが2年連続だったのを覚えている。
労基法からみても完全にアウトだ。
そしてこうした勤務を最年少の記者に強いることは完全に今ならパワハラだと、大騒ぎする人もいるかも。
訴えたら私が勝つに違いない。

この勤務表は当時の大和さんという社会部長が作っていたが、恐らく妻帯者ばかりの部員連中に気を遣い、正月に宿直を当てることが出来なかったんだろう。

私といえば、実は労働過多だとも思わなかった。新人虐待とも感じなかった。
逆に新人を頼りにしてくれる大和部長に感謝したくらいだ。


大晦日も元旦もたくさんの取材があったが、宿直明けの宿直に充実感さえあった。当時はそのくらい新聞記者の仕事が好き過ぎたのだ。

先輩たちも優しく、元旦朝は平野先輩は奥さんの公子さんが作ったお節を2段重に詰めて届けてくれた。
お昼には川村先輩からも料理自慢の母上が作ったお節(これも2段重)が届き、朝、昼、夜から夜中まで、取材の合間に美味しいお節ざんまい。

ターさんなどは『にーちゃん。大晦日の夜中はソープでも行って旧年のアカでも落としてきたら?』と、2万円も握らされた(汗)

午後には徳島東署(現徳島中央署)の刑事官、副署長、署長の官舎から次々と『もーさん、早くこんかい』と、電話が。
新年会の刑事らで賑わう3幹部の官舎を順にハシゴし、奥様方のお節と御神酒をいただき、充実した元旦だったのだ。

今は新人でもこんな勤務は無い。元日に警察幹部の官舎の新年会で大騒ぎする伝統も、とっくの昔になくなったとか。
昭和の青春は楽しかったのは間違いない。

(県警本部旧庁舎で。徳島新聞旧社屋と下は徳島東署。いずれも解体され今はないが、青春の思い出いっぱいだ)

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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