自分たちの高校時代は家庭の経済状況や親の価値観もあり、大学は『絶対、国立以外はダメだ!』と親に言い含められている友だちは少なからずいた。まだ高度経済成長前夜であり、普通の進学校でもそんな感じだったのだ。


確かに当時は国立の授業料が年間12000円(月わずか1000円)。厳しい家庭状況でも国立なら進学させることは可能だったのだろう。
当然、昔の国立大学は今より遥かに権威もあり、入試も競争率が高く難しいというイメージがあった(現実に難しかった)
もちろん指定校推薦やAO入試などはなかった。
国立は一期校、二期校とあり、受験チャンスは2度あった(公立もほぼどちらかに)
東大や京大など"旧帝大"や一橋などが入る一期校は3月3日〜5日が入学試験。20日までに合格発表があった。
それに落ちた受験生は23日から始まる二期校に、悲壮感を持って挑んだものだ。
もちろん一期が二期より全て難しいということはなく、二期校にも横浜国大や名古屋工大、東京や大阪の外国語大学など横綱級の超難関校も多かった。
国立しか許されない者にとってチャンスはわずか2回。そんなわけでみんな土壇場になると自分が入れそうな国立大学を一生懸命探したものだ。
私は旺文社の受験雑誌『蛍雪時代』が愛読書だった(笑)から、全国の受験状況は、恐らく高校の進路指導の教師より詳しかった。
まだデータも少なく偏差値の概念が確立してない時代だ。なかなか志望校選択には難しい判断が必要だったのだ。

それでも親に国立しか行かせてもらえない友人の進路指導をし、かなり成功させた。
日本中、どこへでも行くという条件なら、理系は探せば結構、伝統ある学部学科で穴場もあったのだ。
例えば北海道の北見工業大学とか帯広畜産大学(獣医学部以外)、秋田大学鉱山学部とか信州大学繊維学部、沖縄琉球大学など。
遠いから比較的入り易いというだけで素晴らしい大学ばかりだ。合格した連中にはすごく感謝された。
あと工学部志望は農学部を強力に勧めた。当時は理工系よりツーランクは優しかった。
またその頃は多くの国立には夜間の二部が併設されていた。働きながらいけば誰にも負担はかけなかった。
今は大学独自の試験重視の旧帝大など超難関校を除けば、大半の国立は共通テストの自己採点で、入れそうな大学の目処はほぼ着く。

先生任せにせず自分で自己採点を徹底分析し、絶対譲れない第一志望校を決めるべきだろう。
健闘を祈る!
もりもとなおき