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青春の記者シリーズ。なぜか力が入ったソープランド摘発取材

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年に1度のお約束、ソープランドの摘発

ソープランドの売春防止法違反容疑での摘発は、警察の恒例行事だった。確実にあるのは売春防止月間の月。だいたいむちゃくちゃに流行っている店か、たまたま関係者が以前に覚せい剤取り締まり法違反などで検挙されていたりしたら、摘発対象として狙われた。

ちょうどその頃

 

警察は情報漏れを極端に嫌うから(漏れたら店が警戒し閉めてしまう)ガサの予定を知っているのは、ごくごく限られた幹部だけ。
捜査員らは夜8時過ぎに緊急呼び出しで集められ、摘発店舗に向かう。

私はなぜか先にソープの近くで待っていたり。捜査員と一緒に勝手知ったる?客室まで踏み込んだこともあった。
(ちなみに摘発店舗を利用したことのある刑事は、署で留守番との噂もありましたが、真偽のほどは分かりません)

 

女の子たちは"保護"の対象だった

売春防止法違反はほぼ全てが管理売春での摘発。だから女性従業員や客はもちろん罪には問われない。
検挙されるのは店長、男性従業員、時には社長やビルのオーナーに及ぶこともあった。
罪は個室を貸す、タオルなどを有償で提供することが管理売春に問われる訳だ。

しかし客もすぐには帰宅させてくれない。あくまで参考人として署に同行させられ、個室の中で売春行為があったか否か、調書を取られる。

調書を取られると帰宅は朝方になるから、奥さんに怪しまれるのが困ると、翌朝改めて署に来るおじさんもいた。

ソープ嬢らも同じ。彼女たちは調べが済むと婦人相談所(当時)に"保護"された。なぜ保護となったかというと、当時はまだ女性らはソープランド経営者らに『搾取されている被害者的存在』と位置づけられていたからだ。

40年近く前だから、実際、女を食い物にするヒモがいる女性も多かった。徳島へは東京と何故か札幌から来ている嬢が多かった。

 

取材はしたものの、なぜか忍びなく

われわれも嬢たちも同世代だった。記者クラブの若い記者はお世話になっているヤツも当然、いたから、嬢たちがクルマに乗せて連れて行かれるるのを見るのは、なんかみんな忍び難かった。

後日、嬢らに『あんたたち、第三者決め込んで私たちの写真写して、"心痛まないのかな?"と、女の子たち皆んなで話してたのよ』と、笑いながら批判されたものでした。

確かにソープはたくさんあるのに1軒だけの摘発は、何かイベント化して、いかがなものかとは思いましたが…汗

昭和50年代、まだまだバブルまで時間がある、いい時代でした。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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