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高校生の時、訪れた広島原爆記念館で、米国人に抱いた恥ずべき感情

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小さな自分に今、思い出しても恥ずかしさでいっぱい


きょうは73回目の広島原爆の日。

初めて広島の原爆記念館を訪ねたのは高校生の時だった。たくさんの外国人が来ていたが多くがアメリカ🇺🇸の人たちだった。学生運動は高校生まで及び多感なときだったから、そこにいた米国人を見て無性に腹が立ったのを覚えている。そして心の中で『これはお前たちの国がやったことだ。戦争でもこんなことは許されない。よく恥ずかしくもなく来れたもんだな!』と、声には出さないが何度もなじった。とても表情にもおもてなしの気持ちは出なかった。

今、思うと本当に恥ずかしい。しかしそんな気持ちも直ぐに失せ、小さい自分を反省した。日本国内はもちろん、アメリカ本国から来た人も大勢いたことだろう。


息殺す米国人ら。母国の愚行に向き合うために来た人も


僕らもそうだが米国人もみんな声もなく、息を殺していた。中にはハンカチで何度も目を拭う女性も。母国がしでかした取り返しがつかないことに対し、どうしていいか分からない…彼ら彼女らを見ただけで理解できた。

クラスメートに英語の達者な女子がおり、彼女の通訳でロビーに出たところで若いアメリカ人グループと話すことができた。そして自分がさっき腹の中で呟いたことばをまた恥じた。

彼らこそアメリカの愚行を心から恥じていた。そして原爆と向き合うために遠く広島まで来ていたのだ。ベトナム戦争はじめアメリカが各地で絡んでいる戦争にも心痛めている、とても良心的なアメリカの人たちであることがわかった。

そして子どもたちが2人とも小学生になったら、連れて行こうと生まれた時から考えていた。初めて訪れた記念館は、小学生には相当、衝撃だったが、良かったと思う。たくさん来ていた米国人の思いも、子どもたちには説明した。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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