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2人の宰相の『国葬』と『国民葬』

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明治〜大正の宰相であるわが早稲田の創設者大隈重信と山縣有朋は、誕生日はわずか3ヶ月しか違わなかった(ともに天保9年生まれ)
そしてともに大正11年に亡くなったが、わずか20日違い。大隈が先で山縣が続いた。

佐賀藩士出身の大隈に対し長州生まれ軍人出身の山縣。2人は同じ政治家でも全く対象的な生き方だった。

時に野に下り、藩閥政治と果敢に闘ったこともある庶民派宰相、大隈重信に対し、山縣有朋は軍部、官界、枢密院、貴族院を抑える強い権力者だった。

大隈重信
山縣有朋

さて2人の葬儀だが、山縣は『国葬』、大隈は『国民葬と』して、ともに東京・日比谷公園で営まれている。

当日の状況だが、山縣の国葬には1万人の会葬者が予定されたが、当日の参列者はわずかに1000人と寂しいものだったという。

議員や実業家もほとんど姿を見せなかったーと、当時の新聞が報じている。権力は持っても嫌われていたということか。

これに対し国葬じゃなく国民葬となった大隈は20万人から30万人もの人々が、周辺に長蛇の列だったとか。人々に愛されていたんだろう。庶民派宰相の面目躍如だったようだ。

2人の人気の違いなんだろうが、近代日本をつくるため、ともに政治家として全力で時代を駆け抜けたのは間違いない。

でも政治家はやはり、庶民の人気が一番だ。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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