船戸優里被告には懲役11年求刑、かたや栗原なぎさは求刑2年だった
東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛ゆあちゃん(当時5歳)が、父親の船戸雄大(34)=保護責任者遺棄致死罪などで起訴済み=から日常的に執拗な暴行を受け殺害された事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の裁判員裁判の第5回公判が東京地裁(守下実裁判長)であり、検察側は懲役11年を求刑した。
これに対し弁護側は「被告は雄大からのDVで精神的に支配されていた。懲役5年が相当だ」と述べ、公判は結審した。
この論告求刑公判で思ったのは、ほぼ同じ頃、千葉県野田市であった小学4年生栗原心愛さん(当時10才)が、父親の栗原勇一郎(41)=傷害致死罪で起訴済み=からの壮絶な虐待で殺された事件で、傷害幇助罪に問われた母親なぎさ元被告の罪の軽さだ。
なぎさ元被告は結局、わずか求刑2年に対し、懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年。収監されることはなかった。

同居しながら夫の娘殺害を許した罪の深さは同じだ
優里被告の保護責任者遺棄致死罪と、なぎさ元被告の傷害幇助罪は基本的に罪の重さが違うから、2人の母親に求刑の差があるのは理解はできる。
しかし愛する娘が夫に日常的に激しい暴力を加えられ、結果殺害されながら、救うことをしなかった罪にどれだけの違いがあるのだろうか。
共に突破的な暴行での殺害じゃない。2人の父親は日常的に執拗な暴行の末に娘を殺害した。
どちらが重くて、どちらが軽いということではないのだ。同居していながら子どもを救えなかった母親の罪は、われわれから見たら何ら変わらないのだ。
恐らくこの二つの許しがたい事件で同じ思いを抱いた人は多いと思う。
もりもと なおき