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『がん宣告と私の大切な家族たち』

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癌の状態にもよるんだろうけど、がん告知を受け思ったのは、自分より家族の方が精神的には辛いだろうということだった。

昨年5月、徳島大学病院で主治医となるドクターから、自分の内視鏡とCT画像を見せられた時、正視できないほどの胃のがん潰瘍と、肝臓に5か所も転移してる状態に『これは末期だな』と、悟ってしまった。

"手術はできない。もう時間はありません。明日直ぐに入院し抗がん剤治療を"
とのことで帰途に着いたが、悩んだのは妻にどう説明するか…だった。

とにかく心配をかけたくはない。
『胃潰瘍だから点滴で治るらしい』とのウソも考えたが、信じる訳がない。
主治医からは『明日、奥様にお話ししたい』と言われたからだ。

その夜、東京の娘と息子にはさわりだけ話したが、娘は大慌てで朝イチの飛行機で帰って来た。
妻に付き添ってドクターの話しを伺うという。

主治医と話す病棟の面談室には私は遅れて覗いた。妻はすでに涙ぐみ、娘はワザとらしく平静を装っている。

この時2人の表情を見て、私の病状は絶望的であることは直ぐにピンときた(私は人一倍、勘のいい新聞記者だよ)

息子は妻らに話しを聞いたのだろう。夜、直ぐに電話がきたが『お父さん、結婚したい女性がいるから、話しを進めてもいい?』と、また唐突だった(笑

恐らく妻に私の病状を聞き"もうオヤジは長くはない"と察したのだろう。お嫁さんになる女性を見せ、安心させたかったのだと思う。

ずっと後に分かったが妻と娘は余命宣告を受けていた。
"このままだと6か月"と…
これは自分の見立て通りだった。

妻にこの話しを聞いたのは約7か月後の昨年12月の結婚記念日だった。治療の結果、私のがんがどんどん縮小していく経過にホッと一息ついたのかもしれない。

ずっと胸にしまっておくのは苦しかったと思う。可哀想なことをした。
2人でテレビに出た時、妻は『何も手につかず、暫く誰とも会いたくなかった』と、記者に答えていた。

娘は私が元気になってから『お父さんが死んだらどうしようと考えるだけで、本当に辛かった』とLINEがきた。
娘は元気に振舞っていたが、カラダが悪くなるくらい心配していたのだろう。

息子といえば彼女の紹介、婚約、結婚まで、のんびり屋の性格に反して猛スピードだった。
年が明けたら初孫を見せてくれるから、何よりの喜びだ。

三者三様、さらに息子のお嫁さんも加わり、皆んなには本当に心配かけている。
感謝しかない。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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