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いつまでも裁判官、判決のタブー視は良くない。批判すべきは批判を

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昔は批判してはいけない存在と位置づけていた裁判官

何十年も前は新聞記者たちも裁判官はヤクザな自分たちとは違い、やんごとなき高貴なる存在で、彼らが下した判決は軽々しく批判してはならないみたいな空気が本当にあった。

現実に清濁合わせ飲む生活をしてきたわれわれと違い、裁判官は自分を律したひじょうにピュアな人が多く、判決はあくまで法律と怜悧に照らし合せ、心静かに書いていた気がする。

もっとも判決は人生の機微に欠け、"ちょっとそれ違うぞ"みたいな説諭を被告に説く人もいたが、許容範囲だった。

ところがだ。裁判官に対しては少なからず畏敬の念を持っていた私でも、最近の判決や事件処理に首をかしげざるを得なかったり、許せないようなことが連発している。

強姦事件での相次ぐ無罪判決、軽微な判決はやはり変だ

例えば今年3月、性犯罪が問われた裁判の一審で、無罪判決が相次いだ。
最初に報じられたのは、男がテキーラを一気飲みさせた女性に対し性行為に及び、準強姦罪で起訴された事件だ。福岡地裁久留米支部は3月12日、男性にまさかの無罪判決を下した。

またこれなどは、多くの人が呆れた。長年に渡り実の娘に性的暴行を続けてきた父親に無罪判決を出した裁判も。少しは司法に詳しいものとして、まさにいたたまれない気持ちでいる。

その後も、性犯罪で全国で3件の無罪判決が続いたことから、ネットなどで判決への批判が高まり、性犯罪の刑法改正を求める署名活動がスタート。
5月11日には東京、大阪、福岡で性暴力と性暴力判決に抗議する"フラワーデモ"も行われた。

司法記者たちもおかしな判決、判断には厳しい批判は必要

このほかごく最近、実刑を受けた凶悪犯の逃亡に繋がった保釈申請を認めたことなど、司法の判断がかなりおかしいんじゃないかと感じている人は多い。

先日の『大崎事件』の再審請求に対し、すでに再審開始決定をした一、二審の判断を覆した最高裁判所の恐るべき判断は、何をか言わんやだった。

こういう判決、判断が次々と出されたら、ごく普通の社会正義が少しずつマヒしていくのではないかと、心配だ。

裁判官たちにとって大切なのは、法律の条文の解釈だけてはなく、もっと社会を勉強することだ。生きた人間たちをやはり条文だけで裁くことには限界もある。そして司法記者たちもタブー視せずに、キチンと判決に評価を下すべきだろう。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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