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人は城 人は石垣 人は堀

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武田信玄が天下統一に思いを馳せた甲府で


人は城 人は石垣 人は堀

情けは味方 仇は敵なり

武田信玄公は城を持たず、人の和こそ最大の武器であり最大の盾であると信じ見事に成果をあげた。例えば信玄堤が造られ、甲州法度が実施されるなど、多くの良い政策が実行され、甲斐の人々の生活は向上したといわれている。

先日、2年間の山梨県甲府市での勤務を終える息子が、元気でつつがなく仕事ができたお礼に、武田信玄公が祀られている武田神社を参拝するというので、私も一緒しました。

ここは武田信玄の住んでいた館、屋敷群跡が神社になっています。信玄は天下取りの途中で病死しましたが、11年間で5度に渡る越後の国の領主、上杉謙信との覇権をかけた戦いはあまりに有名です。

終生城を持たず、出陣しない時はこの神社の位置する場所にあった広大な館で過ごしたとか。山梨県は今もこの場所で埋蔵文化財の発掘調査を続けているそうです。

天守閣などなくともやはり信玄公にとって"人は城であり人は石垣"だったんでしょう。梅雨も明け、早くも猛烈に暑い甲府盆地で、武田信玄が天下統一に思いを馳せた日々を思いました。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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