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伊勢湾台風〜雨戸に縛られ流されかかった友人…西日本豪雨で思い出す

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豪雨による河川氾濫の恐ろしさまざまざと


未曾有という言葉通りの西日本を中心とした凄まじい集中豪雨だった。今現在、死者安否不明は200人を超えている。被害の様子が次々と明らかになってきたが、河川氾濫のツメ跡、山腹崩壊で土砂に押し潰した住宅にことばもない。逃げ遅れ自宅で泥水にのまれた人、逃げた二階までも一気に泥水が迫る恐怖はいかほどだったか。

自宅にいてすでに外に逃げることができず、上昇する水位にはこれ以上、上がらないでと祈るしかない。二階の窓や屋根の上から助けを求める姿、悲痛なツイッターでの叫びに胸をかきむしられる思いだった。


伊勢湾台風の時、雨戸に縛られ、流されかかった友人もいた


われわれが幼少の頃、昭和34年9月、伊勢湾台風という超大型台風が愛知、三重など東海地方を襲った。中心気圧895hPaだから、いかに大きな台風だったか。

この低い気圧がもたらした高潮により死者行方不明5000人を超す被害が出たが、最も被害が大きかった名古屋市南区に住んでいた私の友人鈴木君の話を未だに思いだす。

彼の自宅は当時では少ない2階建てだった。しかし夜半、急激に周囲の水位は上昇。周りの平屋の家は完全に水没し、水面から少しだけ覗く屋根に上がり助けを求める人たちが、悲痛な叫び声をあげていたという。

自衛隊のボートが必死で救助活動していたので両親は助けを求めたが、多くの平屋家屋の屋根から助けを求めながら、今にも水没しそうになる人たちを優先するのは、やむを得なかったという。

それでも2階まで水位が上がり、もはや2階でもダメかという時、友人の父親が雨戸を外し3枚重ね、それに友人を縛りつけたという。座して死を待つより雨戸が上手くどこかに流れ着き、万にひとつでも子どもが助かったら…そんな親の思いだったんだろうと言っていた。そしてその時味わった恐怖は、未だに蘇る時もあるという。

水が引き、数日後に学校へ行ったら、クラスメートだけで20人近くが亡くなっており、泥だらけの校庭には、被災者の履いていた靴が山のように積まれていたという(後に慰霊のクツ塚となる

死者行方不明5000人を超えた伊勢湾台風

今回の災害でもこんな怖い体験をした被災者がどれだけいただろう。

雨が上がるといきなりの猛暑です。被災者の皆様や捜索に当たる関係者の皆様の安全を、 心からお祈りします。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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