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台風の中、県人会に出席のため徳島から名古屋へ

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『名古屋の中部県人会に出席のため、台風の中、2人でクルマを走らせた』

忘れもしない1997年7月のことだった。
その日は台風のため徳島から外に出る空路、鉄道、高速バスが全て運休した。
当然、大鳴門橋〜明石海峡大橋が通行止になっていたが、当時、県議会議員だった私と衆院議員だった岩浅嘉仁さんはどうしても翌日に名古屋へ行かなければならなかった。


この日、昼間は義父の叙勲パーティーがあり、岩浅さんも出席いただいたが、例え台風でも名古屋へ行こうということになった。

夜遅くになり瀬戸大橋の交通規制は解除されたことを知り、私と岩浅さんはマイカーで香川〜岡山〜大阪経由で名古屋に向かった。
途中、中国自動車道はまだ交通規制が解除されていない所もあり、その部分は一般道を。

夜10時過ぎに徳島を出発し、なんとか翌朝10時前に名古屋市に到着できた。
陸路550キロをなんと12時間も。私のホンダアコードを交代で運転した。

これは東海地方に住む徳島県出身者で組織する中部徳島県人会の総会が、名古屋市内のホテルで開かれ、2人はそれに来賓として出席するためだった。

まさか台風で徳島からは誰も来ないだろうと思われていたようだ。関係者には大喜びしていただいたので、道中の苦労は報われた。

しかし当時の徳島県名古屋事務所の女性所長は

『台風の中、クルマを走らせ衆院議員と県議会議員が来てくれたのに、来るはずだった県幹部はだれも来ないのは本当にお恥ずかしい』と、恐縮至極だった。

掲載新聞はすでに廃刊になっている毎朝新聞。寒川さんという記者が書いてくれたが、見出しの『若さのパワー』がいいね。
確かに衆院議員、県議会議員になってともに4年目。まだ40代前半の夏だった。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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