『護送される犯人の顔をみたいが、警察の防御が過ぎるのでは?』
逮捕した犯人を護送する時、最近の警察は人権を配慮し、ずいぶん気を遣っているような気がする。
もちろん、裁判で刑が確定するまではあくまで容疑者、被告だから当然なのかもしれないが、私のような昔気質の事件記者にはイライラするケースも多い。
先日のさいたま市のネットカフェ人質立て籠り事件は、現行犯で犯人を取り押さえた。しかしながら現場のネカフェから犯人を護送するクルマまで厳重かつ仰々しくブルーシートを張りめぐらし、メディアのカメラから犯人を守るさまに、私は強い違和感を感じたのだ。
こいつ(犯人)にここまでしなきゃならんのか?と思ったが、私がおかしいのだろうか。
悪いヤツが逮捕されたら、『どんな顔したヤツだろう?』と関心を持つのが人の常だ。これは新聞読者の強いニーズでもある。
だから犯人の顔写真は紙面に不可欠だが、どうも最近は頭をすっぽり覆い、肝心の顔、表情が見えない。手錠を隠す被疑者用ベストまである。
昔は被疑者護送の際、警察は必ずメディアのカメラの前を歩かせた。私など他のメディア、特にテレビのため、その段取りをしてあげたものだ。
それでも下を向く被疑者には『このボケが!ちゃんと前を向かんかい!』と、怒鳴る記者もいた(絶対、私じゃありません笑)
恐らく警察庁の全国広報担当者会議で本庁からの通達もあり、容疑者の人権配慮は最重要課題なんだろう。
そしていつの頃だろうか。新聞の社会面から事件報道が片隅に追いやられ、事件の扱いもずいぶん小さくなった。事件が社会面の花だった時代は人権への配慮とともに終わったのだ(と、思う)
私の時代でも『そこまで踏み込んで取材をやっていいんですか?』と、突っ込んだ取材に疑問を投げかける新人もいた。
私は『人権問題はお前が全て取材した後から考えろ。徹底した取材が先だ!』と答えた。
例え人権に配慮しても取材に自主規制をかけ甘くなると、真実はますます遠いものになる。結果、人々の人権も守れないメディアになると考えたからだ。
(写真は先日のさいたま市のネカフェ監禁事件。徹底して犯人を隠す意図が理解できなかった)