後輩、山ちゃんの思い出
少し後輩の記者に山ちゃんがいた。徳島では老舗のスポーツ用品店の息子。附属〜城南〜慶応義塾大学だからかなりアタマは良かった。もっと都会のいい会社に入ったら良かったのにと思ったくらいだ。いつも綿パンに加山雄三御用達の"ボートハウス"のトレーナーを愛用していた。
彼は運動記者を数年したあと、県南部の1人の支局に赴任した。のんびりした漁師町だから、仕事のできる山ちゃんには少し退屈だったかもしれない。読者の心を惹きつける記事が書ける、書けないは天性のものだと思うが、山ちゃんは取材力もあり素晴らしい記事も書ける記者だった。
彼と一緒に仕事をしたことはほとんどないが、たった一度の仕事が忘れられないものとなった。
昭和61年6月。山ちゃんの守備範囲で発生した猟銃殺人事件。田舎町の男が些細ないさかいで、近隣住民2人をそれぞれ猟銃で射殺した事件。小さな町だけに住民らを震撼させ、猟銃を持って逃走したものだから、町を恐怖に陥れた。
私は県警担当だから、県内で発生する大事件は必ず現場に駆けつけ、事件慣れしていない若い支局記者を指導したり、記事にした。この事件は第一報だけでもデカい事件とわかったので、入社1年目、県警詰のF君と現場に向かった。
運転はF君にさせたが、制限速度を守るチンタラした運転に、何度も怒鳴りつけたのを覚えている。
たったひとつだけのカップヌードル
ひとりでの初めての大事件で不安だったんだろう。支局に到着した私の顔を見てホッとしたのか『もーさん…』と、本当に嬉しそうだったのを昨日のことのように思い出す。
近隣からも応援に来ていたので直ぐに本記、雑感、被害者の顔写真と走らせる。そして未明。顔写真も載せることができ新聞も降板し、とりあえずホッと一息。しかしみんな朝から何も食べてないから腹が減って腹が減って。夜中の1時、さらに田舎のこと周辺には食べるところはもちろんない。今ならコンビニにクルマを走らせるとこだが、当時はコンビニもない。山ちゃんはひとりものときている…
何もないのか?と尋ねて出してきたのがカップヌードル。それもたったの1個。それを4人で分けた。でも山ちゃんは『僕は仕事で胸がいっぱいでいりません…』と。これは絶対にウソ。朝から何も食べてないって言ってたやないか。山ちゃんには最後のスープ、2㎝くらいを無理矢理飲ませました。
犯人は早朝、山狩りをしていた警察が鉢合わせ、逮捕となりました。
信じられない急逝
山ちゃんはこの後の異動で早めにに本社社会部へ。僕が抜けたあと県警担当をしていました。そして県西部であった汚職事件の取材に同僚と向かう途中の車の中で急逝しました。死因は心臓マヒ。まだ35才だったと思います。寒い日曜日の朝だった。
私の顔を見る度にお約束のように『香ばしい女の子がいたら、紹介してくださいね』と、オニギリ顔で言った笑顔とあのカップヌードルのことが、今も忘れられない。
もりもと なおき