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紅白43回目!まだ高校生の石川さゆりと早稲田で出会った日のこと

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19才から連続、紅白43回目の出場という凄さ


NHK紅白歌合戦の出場メンバーが発表された。ことしは初めて無観客というが、当然だろう。
若いグループや歌い手さんは知らない人もたくさんいたが、五木ひろし50回、石川さゆり43回目の出場には驚いた。

これだけ長い間、浮き沈みの激しい芸能界というか歌謡界で、第一線で働いてきたことには心から敬意を払いたい。

早大ラウンジで石川さゆりに出会った日のこと

とりわけ私は石川さゆりには強い思い入れがある。彼女がまだ『かくれんぼ』でデビューして間もないときだから17才くらいの頃だった。

晩秋のある日、早稲田大学14号館のラウンジの黒い長椅子にちょこんと座っていた、ツバのちいさな帽子を被ったかわいい女の子。それが石川さゆりだった。

大学のラウンジにいたのは、まさにこのままの
石川さゆりだった

どうしてこんなところに?
聞けば大学の同級生の友人が当時、ホリプロダクションの新人マネージャー(まだ大学生だったからアルバイトだったかも)で、デビューしたばかりの石川さゆりの担当だった。

その関係で彼女を大学に連れて来たとのことで、周りにいた連中に紹介されたのだった。初々しく会釈してもらったことを、昨日のことのように思い出す。

当時の早稲田大学14号館ラウンジ。石川さゆりは
黒い長椅子に腰掛けていた

感動した19才での津軽海峡冬景色のブレイク

その後、ずっと注目していたが、歌唱力は抜群といわれながらヒット曲はなく、鳴かず飛ばずが続いた。
そしてかの名曲『津軽海峡冬景色』がブレイクしたのは、早大ラウンジで会ってから2年後のことだった。

私もその年、新社会人となっていたが、心から祝福したい気持ちだった。
彼女はその時、19才。年末にはレコード大賞歌唱賞にも輝き、もちろん紅白にも初出場している。

今ならバリバリのアイドル年齢だが、ズバ抜けた歌唱力と本格的な歌謡曲でもあり、ずいぶん大人びて見えたものだ。

ちなみに僕らに彼女を紹介してくれたその時のマネージャーのB君と結婚したが、その後、離婚したことを週刊誌で知った。

紅白43回出場は『津軽海峡冬景色』が大ヒットした1977年からずっと続いている。その後の活躍は説明は要らないだろう。

自分の人生と重ね合わせてみると、この43回紅白出場というとてつもない重さが分かるのだ。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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