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背番号が無かった3年生の告白。"キラキラ輝く友がまぶしかった"

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56校が頂点競う

100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会の全出場校56校が出揃った。憧れの甲子園を目指した地区大会でも、様々な感動のドラマがあったことだろう。レギュラーとして地区大会に臨み、さらに大舞台へ上がる選手。一生懸命同じように練習しても、背番号が貰えず、スタンドで仲間に声援を送った選手など、チームメイトも悲喜こもごもだった。


背番号の発表。押しつぶされそうになる心


地区予選の直前、監督から背番号の発表がある。緊張し、心臓が飛び出しそうになるらしい。例え貰えなかっても1、2年生の場合は来年があると諦めもつく。が、後がない3年生部員は20番、その最後まで名前が呼ばれないと本当にショックらしい。

それでもみんな気を取り直し、翌日からはレギュラーの練習相手になり、試合では仲間のため母校のため、スタンドから力の限りの声援を送る。

でも背番号があるかないか。球児にとって、3年生部員にとってそれは他人には簡単には知ることのできない、複雑で重く苦しいものかもしれないと、私はずっと思っていた。

実は以前、その人に言えなかった球児の複雑な心情を語ってくれた友だちがいた。


元球児の胸に迫った告白


"私の社会人になってからの友人に九州出身の元高校球児がいた。中学の時から目指すは甲子園。だから親の反対を押し切り高校は県立の工業高校を選んだ。本当は普通科に進学すべきと思ったが、野球強豪校で甲子園に近いと思ったからだ。

厳しい練習。1〜2年はレギュラーポジションなど夢のまた夢だった。そして最後の3年生。春の新チームでもレギュラーは取れなかった。だから夏まで死ぬ気で練習し、鍛えた…

でも最後もダメだった。ついに監督から名前を呼ばれることはなかった。ベンチにも入れない。補欠にもなれなかった訳だ。アタマの中は真っ白。その日はどうやって自転車をこぎ家に辿り着いたか記憶にない。ご飯も食べず、いつもの街灯の下で夜中まで何時間もバットを振った。毎日、早朝から弁当を作ってくれた母親にも申し訳なかった。涙が止まらなかった。

地区予選。下級生らとメガホンを持ち、スタンドから声を枯らして応援した。1回戦から順調に勝ち進み、ついに決勝。勝てばもちろん甲子園だ。

憧れの甲子園、夢の甲子園。でも彼にとってはスタンドにいることで、すでにただの夢に変わっていた。例えチームが出場できても彼はバッターボックスに立つことも、球場を駆け抜けることすらできないのだ。冷酷な現実。すると決勝になり彼の中の悪魔がささやき出した。

『勝たなくていい。負けろ!』って。フライが上がり仲間がグラブを構えたら『落とせ!』。友が打席に立てば『三振しろ!』と。逆に相手チームのタイムリーには心の中で拍手をする本当に嫌な自分がいた。

ゲームセット。負けた。そしてなぜか負けてホッとした自分がいた。泣きじゃくるチームメイト。自分はもちろん涙も出なかった。でも友のその姿を見て、突然、我に返った。

彼はレギュラーの友がまぶしかった。そして甲子園へ行けばこいつらはもっとキラキラと輝くんだ。俺だって一緒に練習したのに…友への嫉妬心のようなものだった。だから甲子園の道が断たれた時、抱えていた重いものがスッと消えた"


野球の神様は努力したみんなに微笑んでいる


凄い話しだなと思った。誰にも話したこともないその時の話だった。彼は自分の小ささを悔いていたが、そうじゃない。その思いは青春の大切な時間を1つのことに賭けた証に違いない。野球の神様はわれに返った彼に、きっと微笑んだと思う。

だから高校野球はみんなを魅了するんだ。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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